Prologue/Chapter.1,2/////7,8//10,11/12,Epilogue

Prologue
 紅の爆炎。
 一閃(いっせん)、炎を切り裂く剣の光輝。
「覚悟!」
 白銀の翼の一打ち。
 天使が闇に迫る、その刹那(せつな)。
 闇は完爾(にっこり)と笑った。
 漆黒の髪の流れる空にひらめく白い肌。
 夜の深淵を宿した瞳を持つ、ひとのかたちをした闇。
 限りなく清らかな、破滅の微笑。
 一瞬の剣戟(けんげき)。
 はじかれ、あおのく天使。
 天使がおのれの心臓を刺し貫かれることを覚悟したであろう瞬間、闇は剣を横殴りに、天使の脇腹を打ち据(す)えた。
 重い音とともに、銀の帷子(かたびら)が砕け散る。
「天帝は相変わらず罪なことをする。いかな手練(てだ)れといえど、一騎打ちで魔天の主(あるじ)たるこの『闇』に戦いを挑むとは」
 なかば叩きつけられたように大地に落ちた天使のかたわらに降り立ち、謡(うた)うが如き声音で語る闇に、天使は戦慄(せんりつ)したか。
 血の滲(にじ)む腹を押さえ、折れたものか思うようにならぬ右足を庇(かば)い、おのが剣を構える。
 闇の持つ、青い水晶の刃が月光の空に輝いた。
 剣の名は、魔天・凍夜(とおや)。
 遙かなむかし、神を弑(しい)するためにのみ鍛えられた、魂を持つ剣。
 乾いた音。
 なんの抵抗もなく、木切れのように断ち折られる天使の剣。
「生殺与奪(せいさつよだつ)は思いのままということか」
 感嘆とともに吐き出された言葉には、震えがあった。
 天使とは光なる者の従者。
 その法をあまねく知らしめんがため、まつろわぬ者たちに裁きをくだす戦士。
 こころに、恐れと絶望を宿さぬ者。
 だが、闇なる者と対峙(たいじ)する天使の魂を染める色彩は、はたして。
「立ち去れ。わたしには嬲(なぶ)り殺しの趣味はない」
 闇は天使に青い水晶の切っ先を向けた。
「帰って天帝に伝えよ。『闇』は想いを持たない。望みも、憎悪も、なにひとつ。父母の仇(かたき)を討つ気もない。安んじて天界にあるがいい、と」
 闇の瞳はただ、透きとおるように美しい。
「こころを封じたか……」
 天使は折れた剣をよすがに立った。
 その銀の瞳には、憐憫(れんびん)の影。
「何故なのだ? 闇の魔神よ」
 闇は天使の疑問に答えなかった。
 その言葉に宿る憐憫には、自嘲(じちょう)を含んだ微笑で応えはしたが。
「その答えを得てどうすると? 天使殿にはかかわりのないことではないかな」
「そうだな。愚かだった」
 天使は問いを重ねなかった。
 代わりに、その翼がおおきく開かれた。
 激しい輝きを瞳に宿し、天使はさらなる闘争を求めたのだ。
「御身はもう、戦えぬよ。天使殿」
 闇はもの思うまなざしで天使をみ、
「退(ひ)かれよ」
 そう言った。
「わたしは退くわけにはいかん。我が至高の君は、わたしに死ねと仰せだ」
 天使のいらえは重い軛(くびき)を負っていた。
 そして、風に靡(なび)く鬣(たてがみ)のような銀の髪と同じ色の小手を捨てる。
 紫に爛(ただ)れる指。
「身体の組織を改変し、兵器とする禁呪か。天帝の趣味というよりは、冥府の王の好みそうな趣向だが」
「これが、我が贖(あがな)いのあかし。わたしが、かの囚(とら)われの女神を愛した、そのあかしだ」
 紫に爛れた指が、鋭い輝きを帯びる。
「天帝の虜囚(りょしゅう)……未来を司(つかさど)りし時の女神?」
「そうだ!」
 きっと見開かれた天使の眦(まなじり)。
 ふと微笑を刻む闇の唇。
「天使殿、わたしはどうあってもかならず甦る。神をも凌(しの)ぐ不滅のこの身を、天帝らは怖れている。おまえのいのちのすべてを懸けても同じこと。おまえは無駄に死ぬのだよ」
 あろうことか剣を納め、幼子(おさなご)に言い聞かせるように闇は言った。
「分かっている。闇の魔神よ、わたしは罰のなんたるかを理解できぬほど愚かではない」
 紫の輝きはいまにも天使を呑み込まんと膨(ふく)れあがる。
 なにかが軋(きし)みをあげて崩れ去ろうとしていた。
 空間が撓(たわ)み、視界が歪む。
 目に見えぬ触手が天使の指先に刻まれた禁呪より伸び、闇の身体を捕らえた。
 言葉なき破壊の呪い。
「闇よ、逃げよ。この禁呪を喰らえば、いかに不滅を誇る貴様といえど、ただでは済まぬぞ!」
「わたしにこころがあるなら、きっとおまえを哀(あわ)れと思うのだろうね。……さきに、おまえがわたしを憐(あわ)れんだように」
 闇は抗(あらが)わなかった。
 幾重もの束縛に自由を奪われるまま、佇(たたず)んでいた。
「なにを考えている!」
「わたしはこれでもつきあいがいいほうでね。冥府の門の手前まで、天使殿を見送ってさしあげようと思っている。どんな旅も、ひとりの道行きは寂しいものだからね」
 あまりにひとを食ったもの言い。
 天使が絶句したのにも気付かぬふうに、闇は続ける。
「ただし……わたしは冥府の王とも仲が悪くてね。それ以上は遠慮させて頂くが」
 天使の哄笑(こうしょう)。
 茫漠(ぼうばく)たる視線の先に、天使はなにを視るのか。
 唇が象(かたど)った名はふたつ。
 その名に冠せられたのは、「我が妻」。
 そして、「我が娘」。
 虚空を揺るがす爆裂。
  *
 血に染まりし天使の羽根が、決別の涙の如く舞い落ちる。
  *
 死の静寂。
  *
 さやけき月光。


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