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Chapter.6

 秋の星座を司(つかさど)る小さな星が冬の星座にその安息の場所を譲り渡した夜、彼は父王に呼ばれた。
 王は仕事を終え、豪奢(ごうしゃ)な造りの執務室の椅子にくつろいで王子を迎え入れた。
 式典や祭事があるときのほかは、滅多に顔を合わせることもない父王に呼ばれて、王子がなにごとかと訝(いぶか)っていると、王は静かにこう言った。
「おまえはあの少女をどうするつもりだね?」
「どうもいたしません」
 王子は即座に答えた。
 だが、父の真意を測(はか)りかねたその声音。
「そうか。だが、近ごろ浮かぬ顔をするのはあのこどものせいではないのかね?」
「なにをおっしゃいたいのですか」
 幽かな胸の痛み。
 不吉を告げる魂の警告。
「さぞかし食事が味気無いのではないのかと思ったまでのことだ。民から献上されるだれとも知れぬ冷たい血など、砂のように味気無く感じているのではないかとね」
 それは事実だった。
 気に留めるまいと、あえて無視してきた現実。
 王は王子の動揺に満足したようだった。
「あの少女はもう十年も待てば素晴らしい花嫁になるだろう。愛しておやり。我々のやりかたで。おまえの将来の花嫁だ、おまえにはこころを許している。喉にすこしばかり傷をつけるくらいなら抗(あらが)いはすまい」
 独り言のように王は言った。
 王子は少女の血の甘さを思って唇を噛んだ。どれほど彼女が欲しかったかに気づいて身体が震えた。
 できない。
 わたしは約束したのだ、彼女を護ると。
 ……だが……だれと?
 開けること叶(かな)わぬ記憶の扉の存在。
 心臓のすぐそばに突き立てられた楔(くさび)。
 王子は沈黙のまま儀礼に則(のっと)って一礼し、王に背を向けた。
 その背に、王は静かに、しかし鋭く言い放った。
「おまえが要らないのなら、わたしのものとするが、どうかね? わたしには五人の愛妾(あいしょう)がいるが、おまえの母は亡くなって、王妃の位は空いたままだ。彼女ならさぞ美しい妃になることだろう。おまえと引き離すには、多少、無粋な真似もやむを得まいが」
「父上」
 王子は怒りとともに振り返って王を見た。
 王は王子を、真に愛しい者を見る眼差しで見つめていた。
 意地の悪い揶揄(やゆ)を予想していた王子は、その表情に動揺した。
「この国では……支配者の祭壇には常に贄(にえ)が必要なのだよ、カナン。闇の御神の希(のぞ)みより生み出されたこの世界は、我らの祈りが失われれば、すべて無に還ってしまう。そして、祈りはひとのいのちより生まれる。ひとのいのちを糧に、我らは祈り続けねばならぬのだ」
「分かっております。よくよく承知しておりますとも!」
 王子はいたたまれなくなって王の言葉を遮(さえぎ)った。
 だが、王には王子のいつわりが見えていたようであった。
 王子にふと微笑みかけ、続ける。
「我ら闇の血は、真に愛しいと思う者の血をもっとも甘く感じ、そのいのちを祈りの源(みなもと)とする。だからこそ、おまえがあの娘をそばに置こうとするならば、道はひとつしかない。わかるね?」
「わたしの……贄にせよ、と」
 声の震えが止められない。
 何故……なにを……わたしは脅(おび)えている?
「そうだ。彼女はおまえの祈りの祭壇にのぼる、初めての贄となる。そして護っておやり。彼女のいのちを夜ごと奪ってゆく代償に、おまえの祈りの力で、この世の哀しみのすべてから。神の血をひく我らの、それが宿業だ」
「違う」
 熱に浮かされたように王子は呟いた。
 紛れもなく、おのが本性が少女の血を求めていることを自覚しながら、カナンは叫んだ。
「違う!」
 と。
「おまえはおまえの弟と違って、我々の哀しみを知っている。おまえはよい王になるだろう。宿業を呪いながらも、それを認めることができさえすれば」
 王子は激しく首を横に振った。
 すべての邪悪を振り払うかのようだった。
 振り払えるはずもない。
 愛する少女の血に渇く、それこそが彼の本性なのだから。
「それでも、おまえは理解しなければいけないのだよ。おまえは近く我が跡を継ぎ、この国の祭主とならねばならぬ。厭(いと)わしいかぎりだが、おまえが強情な真似を続けるなら、わたしも小細工を弄(ろう)せねばならぬ」
 王はさきの微笑とはうってかわって、背筋の凍りつくような酷薄(こくはく)な笑みを浮かべて、王子に言った。
「今宵からしばし、我が祭壇の贄にはおまえがおなり。おとなしくしておれば苦痛ではない。ひとの血以外、なにをもってもしても癒せぬ渇きは募(つの)ろうが。さて、娘の血を求めずに、何日もつだろうね」
「父……上。何故、我が身をそっとしておいてはくれませぬ!? わたしは王座など弟に譲ってもよいのに!」
 王子の叫びに、王は答えない。
 その身が刻むべき刻を凍らせ、こころだけが千年の刻を経(へ)た闇の血をひく王は、ただ静かに、王子を招いた。
「おいで。おまえにとっては屈辱だろうが、抗(あらが)えばまた別の細工を考えねばならぬ。今度は……そう、おまえに内緒であの娘に頼みごとをしてみようか」
 王子はきつく目を閉じた。
「御意のままに」
 憤(いきどお)りに震えながらもひとこと、父王に恭順(きょうじゅん)の意を示すと、王子は王に歩み寄り、汚れなく白いうなじを王に差し伸べた。





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