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Chapter.5 |
七回季節が巡(めぐ)り、こどもは美しい少女に成長した。 七年前、突然、王子が城にこどもを連れ帰ったときには、失笑した王や王子の弟も、少女の美しさの前には言葉もなかった。 少女の前には月も星も色を失った。 惶(きら)めく光を湛(たた)えた無垢の瞳で見つめられた者は皆、少女のとりこになった。 しかし彼女は王子だけのものであった。 淡い薄紅のドレスには幾重にも純白のレースが縫いつけられて、少女が王子の腕でみじろぎするたびにひらひらと揺れた。 城の中庭に咲き乱れる花々に埋もれて、花冠を作る少女の手からその冠を受け取るのも王子だった。 少女をひざに載せて昔話の絵本を読んでやるのも、うとうとと火のそばで眠たげにしている少女を寝台まで運び、おやすみのキスをしてやるのも。 以前ならば無為(むい)に過ごしていたであろう、眠りのまえのひととき。 王子はよく少女をひざに、城の召使たちが少女のためにと気を利かせて窓辺においた、籠(かご)に盛られた季節の果実を剥(む)いてやった。 銀の瀟洒(しょうしゃ)な刃を慣れない手つきで操り、少女に贈る果実を庭で見た小さな白い花に似せて飾り切りしようとして、上手くゆかず、結局、侍女の手を煩(わずら)わせたこともある。 花の好きな少女のために足繁く中庭に通い、少女の髪を飾る花を摘(つ)んだ。 冬枯れの庭園でこれはと思う花が見つからず、庭師に少女への贈り物についての他愛のない相談を持ちかけたことも。 本来ならばだれかに任せておけばよいような、そんななにげないことがどれだけ王子の慰(なぐさ)みになっただろう。 ひとの血以外、なにも口にできない王子がいつしか、果実の季節を覚え、花の季節を覚えた。 冬の暖炉のそばで、少女と揃(そろ)いの青い花模様の陶器に琥珀(こはく)の茶を注(そそ)ぎ、その温かさを手のひらで楽しむことも。 どれも少女がいなかった頃には考えられなかったことばかり。 * 少女はヨナと名付けられていた。 出自そのものがつまびらかならぬその少女には、奇跡の如き美貌に加え、どこかこの世の者ではないかのような気配があった。 幼さにふさわしい、煌めくような笑みを浮かべていたかと思うと、ときおり、ひどく大人びた哀(かな)しみを瞳に宿すこと。 王子と少女のほかだれひとりいない大理石の回廊で、不意に振り返る仕草(しぐさ)。 月のない夜、無明(むみょう)の深遠のむこうになにを探すのか、不安げに窓のそとを見つめる姿。 また、だれに教えられたわけでもないのに、いまはもう王族と一握りの識者(しきしゃ)しか読み解くことの出来ぬ神代の古語を理解しているとおぼしきふしもあった。 王子とともに訪れた王宮の古書の間で、王子が調べものをしているあいだ、少女は一冊の古書を引き出し、指でその文字を丹念(たんねん)に追っていたのだ。 王子が少女のその姿を目に留めたとき、少女は瞳に物憂(ものう)さをたたえて、物語にこころ奪われているようであった。 それは、創世の物語。 世界の創造と、王国の建設。 神々の戦の始まりと終わり。 王子は、少女がその文字をほんとうに理解しているのか、少女に問わなかった。 そういった少女の不思議を、だれにも打ち明けなかった。 ただ、疼(うず)くような不安を胸に、祈るように少女を抱き寄せるばかりであった。 * 少女の不思議はもうひとつあった。 彼女は何故か口がきけなかった。 国じゅうの名医も、王国一の魔法使いも、原因の分からないその病に匙(さじ)を投げた。 彼女を診(み)た魔導士のひとりは、 「言葉と、声の持つ呪力によって、彼女みずからがなにかを閉ざしています。声は、閉ざすことに使われているかぎり、発することができません」 と、見立てたが、いったい何故、なにを閉ざしているのか、それを解き放つにはどうすればよいのか、なにひとつ分かりはしなかった。 が、王子にはどうでもいいことだった。 少女がそばにいる。微笑みを交わす。 なんの不足がある? 少女は王子の腕の中で幸せに微笑み、王子は、その少女の微笑みに釣られるかのように笑うことが多くなった。 傷つけることばかりを恐れて、ひとと交わることをその身から遠ざけていた王子が、いつしか語らいを恐れなくなった。 そして、そんな日々の淡々とした変化に呼応するかのように、王子は以前よりもこころを痛める事なく、支配する民から献上されるひとの血を飲むことができるようにもなった。 みずからの宿業に惑うことなく、穏やかな心でひとの幸福を、平穏を祈ることができるようにもなった。 それらはみな、できるかぎり自分をありのままに認めようとする、王子のこころの変化だったと言ってよいかもしれない。 王子にはそれでじゅうぶんだった。 じゅうぶんだと信じていたかった。 だが。 すべての破滅は彼の身の内に潜(ひそ)み、牙を研(と)ぐ。 変化を呼び込んだ少女。 あの美しい少女の、か細いうなじに牙を立て、温かく甘い血をこころゆくまで味わいたいと望んでいるのが、ほかならぬ自分であること。 あってはならないはずの衝動が、王子自身のうちに潜んでいることを、彼はとうの昔に気づいていた。 |
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