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Chapter.10 |
ラビリントゥス 迷宮の底は冥(くら)い。 “わたしはあなたを愛している” その美しく純粋な情念の背後に隠された迷宮の底は、すべての狂気と運命を含んで、血色の闇に包まれている。 今も。 いつまでも。 |
Chapter.11 |
「明日香さま」 月の光に呼ばれて、少女は目覚めた。 しかし、気怠げに寝台から身を起こすその仕草(しぐさ)は少女のものではない。 「凍夜か」 言葉と同時に少女のちいさなドレスが弾(はじ)けるように破け、男とも女ともつかぬ白い裸身が月の光を跳ね返す。 白磁のように白い肌。 濡れたように淀みなく流れ落ちる漆黒の髪。 青年というにはあまりにも華奢(きゃしゃ)、娘というにはあまりにも引き締まった、完全に性を失ったその身体は、硝子(がらす)細工の如き儚(はかな)さを持った、大人ではなく、こどもですらない人外のなにか。 そして、なにより美しいその瞳は、永劫の闇。 月の光さえ届かぬ魔性の夜。 窓辺には、いつのまに現れたか、青い目の男が立っていた。 「お迎えにあがるのが遅くなってしまいました。申し訳ございません」 「なにを謝る。早くに目覚めていた君の呼びかけを無視したのは、ほかならぬわたし自身だよ」 薄く朱を刷(は)いたかのような唇の端を苦々しく微かに歪め、微笑む闇。 「ヨナを見たかい?わたしの魂の一部にしては、よくできた可愛い子だった」 茶目っ気たっぷりに青い目の精霊に片目を瞑(つむ)ってみせる、先刻まで少女だった者は、寝台の敷布を器用に身に纏(まと)い、うん、とひとつ伸びをした。 「あの子は、わたしがかつてみずから封じた感情のひとつ。『憎悪』に次いで、もっとも強いちからをもっている」 闇はどうしたものかな、と笑った。 闇の微笑みは、まるでつくりもののように破綻(はたん)なく美しい。 「感情のひとつに過ぎぬものが、いままで貴方さまを抑えていた、と? 七年ものあいだ。まさか」 精霊は信じられぬ、と、おのが主の顔を見た。 「そうかな?」 闇はそう問い返して精霊の顔を眺め遣(や)る。 精霊に言葉はない。 「ともあれ、わたしはあなたを愛している、この想いを伝えるために、あの子は封印を解かざるを得なかった。けれど、それで願いは叶(かな)ったのだから、あの子は幸せだったというべきだろうね」 悪戯(いたずら)っぽい微笑を唇に、闇は軽く肩を竦(すく)めて立ち上がった。 途端に、くらりと足をふらつかせる。 精霊の腕が闇を助けた。 「大丈夫ですか?」 と凍夜。 「まあね。たんなる……貧血だよ。王子様の甘いキスの代償(だいしょう)だ」 闇は精霊の腕を押しのけて、そう言った。 きらきらとした筋が頬を伝って明るい柄の絨毯(じゅうたん)に落ちた。 「ヨナの悲しみだ。ヨナはカナンを愛している。別れねばならない苦しみに、幼い胸を潰(つぶ)して泣いている。……何故、わたしが涙を流さねばならない?」 頬を濡らした涙を指で拭(ぬぐ)い、闇は穏やかに笑った。 「ヨナは貴方さま自身でございます」 精霊が言った。 「わたしが連れて行くのは、君だけだよ」 首を横に振って、闇は呟く。 淡々としたその声音。 「君がわたしのものになったあのときに、そう、決めた」 精霊は目を閉じ、深く膝を折った。 「もったいないお言葉です」 「さ、行こうか」 闇は窓のそとに視線を移した。 主人の決断に精霊は頷いた。 「どこへゆかれましょうか」 「さてね。未来を司(つかさど)る時の女神のこどもに会いにいってみようか? 青い天使の翼を持つ、わたしの従姉妹殿だ」 そう言うが早いか窓に足をかけ、ふわりと外へ飛び出した。 天空に青の月が輝くなか、闇は静かに跳梁する。 |
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