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Chapter.4

 むかしの話をしよう。
   *
 かつてわたしは、牢獄にあった。
 無知と無力、無垢。
 それがそのときのわたしのすべてだった。
   *
 わたしを獄(ごく)につないだ者たちは、わたしを殺すためにあらゆる方法をもちいた。
 肉を裂き、首を刎(は)ね、心臓を抉(えぐ)り、骨を砕いた。
 炎獄の炉、酸の海、氷結の檻、真空の箱、異界の狭間、虚無の空間。
 神々ですら備えなしにはその存在を維持できぬ、ありとあらゆる環境に我が身を投じた。
 だが、わたしはいまも在(あ)る。
   *
 わたしを殺すことに飽いた者たちは、つぎに、わたしという存在を解読することを試みた。
 遺伝子の構成を記録し、その特徴とわたしの血肉、あるいは情動の関連を解明しようとした。
 そのために、麻酔すら与えられず解剖台に身を横たえさせられたことも数えきれぬほど。
 だが、わたしはいまも謎のままに存在する。
 わたしが父と母の子であることは間違いない。
 けれど、わたしの遺伝子には多くの手を加えられた跡があるという。
 そしてそのすべての部分の機能が不明であり……再現することも叶(かな)わぬと。
 無からわたしと同じ遺伝子の配列を持つ生命体を造り出したときも、わたしの細胞からわたしの複製を生みだしたときも、そのいのちは生命活動を維持できなかった。
 本来存在できないはずのいのち。
 この事実の意味するところは、わたしにも分からない。
 わたしを捕らえた者たちが得た結論もまた、我が父が自分たちの手の届かぬ大才を持っていたということだけ。
   *
 やがて、探求をも諦めた者たちは、わたしを玩具として扱うことに愉(たの)しみを見いだした。
 肉を犯し、嬲(なぶ)り、あらゆる責め苦で玩弄(がんろう)することでは飽きたらず、記憶を書き換え、その記憶によってもたらされる偽りの感情に翻弄(ほんろう)されるわたしを味わった。
 決して毀(こわ)れることのない、不滅の玩具。
 嗜虐(しぎゃく)の快楽に溺れるのに、わたしほど出来の良い道具は存在しない。
   *
 そして……数千年の時が経つ。
 安らぎを知らず、幸せの意味を知らず、一片の喜びを感じることもなく、しかしそれゆえに呪いすら憶えぬ刻(とき)に縛り付けられていたわたしは「彼」と出逢(であ)った。
 わたしを束縛した者たちが、わたしにあてがった空白の場所で。
 単調な漆喰(しっくい)の天井。
 眼に痛い白さの敷布で覆(おお)われた寝台。
 窓のない壁。
 そして……扉。
 扉に鍵など掛かってはいなかったが、わたしは逃げられぬことを知っていた。
 わたしは、自分を救いに来る者などいないということも知っていた。
 だが、あるときその扉は開き、彼が現れたのだった。
 彼は、寝台に横たわったまま焦点を定めようともしないわたしのまえに跪(ひざまず)き、瞳を覗(のぞ)きこんだ。
 わたしの目が、彼の青い瞳を映すことはなかったけれど。
 彼はわたしの神名(な)を呼んだ。
 わたしの耳が、彼の毅(つよ)い声を捉(とら)えることはなかったけれど。
 それでも……届いたのだ。
 その眼差しと声は、歳月と酷虐(こくぎゃく)とあらゆる改竄(かいざん)に砕かれ、失われていたかに思えたわたしの魂を賦活(ふかつ)させた。
 ほんのわずかではあったけれど。
 わたしはおのが魂に痛みを憶え……そして、その痛みに困惑しながらも、その時初めて、自分の意志で彼の姿をみ、言葉に耳を傾けた。
 彼は、わたしを捕らえた者たちの世界の深奥、わたしをつなぐ牢獄に侵入するちからを得るために要した時間が長きに及んだことを詫(わ)び、みずからの名と、契約に使う誓詞(せいし)をわたしに与えた。
 首尾良くここまで来られたものの、持てるちからは使い果たし、このままではここより逃げおおせることは叶わない。だが、契約が成(な)れば、この牢獄から出ることなど造作もないことだと、彼は続けた。
 わたしは、おのれの神名(な)の響きに喚(よ)び覚まされた知識によって、彼の言が正しいことを知った。
 そして、彼の言う契約の意味も。
   *
 わたしは契約を拒絶した。
 なにひとつ非難の言葉を浴びせず、彼はわたしの手を取った。
「ともあれ、ここを出ましょう」と。
 まるで自分の家の庭にでも連れ出そうというかのように。
 そとは良い天気ですよ、とでも言いたげな微笑を頬に浮かべて。
 むろん「出る」ことは容易であるはずもなかったのだが。
 脱獄は熾烈(しれつ)を極めた。
 百の回廊を駆け、千の敵を屠(ほふ)り、おのれのちからの使い方すら分からぬわたしを背に、逃走を阻(はば)む者たちを相手にわたしを護り、死力を尽くした。
 我が父の創造したなかでもっともつよく、気高く、美しい精霊。
 かつて、父に仕えた者。
 なぜ彼がわたしを救おうとしたのか……という問いは、いまとなっては無意味だ。
 我が父の遺徳(いとく)に殉(じゅん)じていたのかもしれない。
 彼なりの忠誠心をもって、非業(ひごう)の死を遂(と)げた父の遺恨(いこん)をはらそうとしたのかもしれない。
 あるいは、わたしにはうかがい知れぬだれかへの想いに突き動かされたがゆえの行動だったのかもしれない。
 だが、いま彼に問いかければ、還(かえ)ってくる答はひとつだ。
「我は、我が主のために在(あ)るのです」
 ……そう、わたしは……彼を牢獄につないでしまった。
 わたしという、不滅の牢獄に。
   *
 逃走の果て。
 数千年の間、踏み出すことの叶わなかった外界が間近に迫っていることを、わたしは五感とは別の感覚で感じていた。
 だが。
 わたしの腕には、まさに消滅してゆかんとする精霊がいた。
 限界を超えた魔法の行使によって、霊的な結合を維持するちからさえ失った彼は、「死」の淵にあったのだ。
「わたしを此処(ここ)に置いて、振り返らず、逃げるように」と彼は言った。
 まもなくあなたを獄に繋(つな)いだ者が現れる。
 ちからの使い方を知らぬあなたでは、その者の手から逃げおおせることは叶わない。
「せめて出口までご案内できれば良かったのですが」
 と、彼はわたしに詫びた。
「どれほどの時が稼げるかはわかりませんが、わたしはここであなたの盾になりましょう」と。
 わたしの足は、動かなかった。
 その迷いが、彼の行動を無駄にすると分かっていながら。
 泣いていたのかもしれない。
 そのときのわたしは……涙の流しかたすら、忘れて久しい身であったけれど。
 時を置かず、わたしを殺そうとし、解読しようとし、苛(さいな)んだ者のひとりが現れた。
 それは、死司(つかさど)るもの。
 光司る者の同胞(はらから)。
 もっとも我が父を憎み、そして、父を屠った者。
 精霊が、その最期のちからでわたしと追う者の間に立ち塞(ふさ)がった。
 崩れてゆく指で障壁の印を結び、唇が氷結の矢を放つ呪文を唱える。
 そのとき。
 わたしは禁忌の言葉を口にした。
 戦おうとする精霊の背に。
 彼に教えられたとおりの誓詞を。
「闇と現在を司りし我が神名(な)において、我は汝(なんじ)を求むる。汝が冽毅(れっき)たる剣は我が敵の血にて染め抜かれん。我がもとに降(くだ)れ、『凍夜』!」
 精霊は誓詞に応じた。
 迷うことなく。
「御意」と。
 見開かれた追跡者の瞳。
   * 
 彼がどんな表情をもって承諾の言葉を口にしたのか……わたしは知らない。
 わたしは、わたしにつながれ、わたしのちからを得た彼が、瞬く間のうちに蘇ってゆく……その後ろ姿しか見なかった。
 そして契約の成ったその瞬間、わたしはわたしのなかに、わたしを縛るすべての軛(くびき)を、枷(かせ)を、打ち砕くちからと方法があることを知った。
   *
 ほんとうのことを言おう。
 わたしは、獄につながれ続けることなど怖くなかった。
 どのみち、外の世界などほとんど知らぬまま捕らえられたのだから。
 肉を裂かれることも、魂を玩(もてあそ)ばれることも、さしたる苦痛ではなかった。
 肉体の痛みに慣れることは容易(たやす)いことだし、彼と出会うまでは、魂の痛みを痛みと感ずるほどには、わたしは自分というものを持っていなかったから。
 ならば。
 ならば……どうしてわたしはあのとき、逃げようとしたのだろう。
 交わしてはならない契約を交わしてまで。
 契約は、強大なちからの発現と引き替えに、精霊の意志を奪う。
 わたしを護ろうとしてくれた者の、わたしのためにその存在を賭けてくれた者の想いを奪ってしまう。
 契約を解除する方法はただひとつ。
 ……契約主の死。
 だから、わたしには許されなかった。
 わたしは死ぬことができない。
 暴力も、時間も、わたしの意志ですら無意味なこの身は……永遠に彼に彼自身の意志を返してやることができない。
   *
 ……退屈な話はここまでにしよう。
 これは、これより語られる物語ではない。
 過ぎ越し刻のむこうの出来事。
 むかし、むかしのわたしの記憶。
 彼が、わたしとともにある理由。


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