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5 少女たち


 夜が明けた。
「ごめんくださーい」
 細い声が、玄関先に小さく響く。少女は大きな扉の前でおろおろした。もう時計の針は8時半を指そうとしている。
「月子ちゃん、いらっしゃい。さかなちゃんは今、シューズを取りに2階に上がってますよ」
 さっきまで閉まっていた扉は、なぜかもう開いていた。玄関ホールはいつものように暗く、背の高い男の人もまた、いつものように丁寧に出迎えてくれる。
「お、おはようございます……」
 月子はうつむいて挨拶した。月子は親友の同居人がどうにも苦手だった。外国の人だし、びっくりするくらいかっこいいし、理由はいくらでもあるのだが、最大の理由は親友には間違っても口に出来ないものだった。
 怖いのである。
 口調も優しい。いつも笑顔を見せている。だのにもかかわらず、月子は彼が怖かった。それは本能的といってもいい類いの、恐怖感である。
(さかなちゃん、まだかな……)
 月子の願いは通じたらしい。2階から激しく扉の閉まる音が聞こえたかと思うと、栄菜がフットワークも軽やかに、全速力で階段を駆け降りてきた。
「ごめん、悪い、許してっ。寝坊しちゃったの」
 月子は一生懸命な栄菜の姿にほっと息をついた。
「おはよう、さかなちゃん」
「おはよ、月ちゃ……」
 栄菜は挨拶を返しかけてよろめいた。同居人である『れいちゃん』が肩を支える。栄菜は額に手を当て、くう と唸った。
「ああっ、月ちゃん、何てきれいなの! あたし、クラクラしちゃうよ」
 月子は真っ赤になった。この日、月子は私服だった。栄菜は新人戦のために、ジャージ姿だが、日曜日だし、応援に行く者は私服でも構わないことになっている。
 従って、月子は先週、栄菜に見立ててもらって買った洋服を着てみたのだった。栄菜よりも15センチも背の高い月子は、ほっそりとしたきれいな少女で、背の高さを感じさせない調和のとれた優しい卵型の顔をしている。この日の服装はそんな月子に実によく似合っていた。
 おろしたての白いロングスカートの裾のあたりには、淡い水色の花が咲き乱れ、ノースリーブニットの上に、透かし編みのカーディガンをゆったりと着ている。真っ黒な長い髪の毛は自然なままに風にそよぎ、髪の一部だけを束ねた白いリボンが清楚な印象を高めている。
 栄菜は玄関先で朝の光を受け、白い色に包まれた月子を、天使のようだと思った。
「ああっ、月ちゃん、めちゃめちゃ似合ってるよ。もうあたし鼻血が出そう」
 拳を握り締め、興奮状態真っ只中にいる栄菜を『れいちゃん』がゆっくりとなだめた。
「試合に遅刻しますよ。それに、そういうものは、やたらと出して欲しくはありませんね」
 あまりにもっともな意見に、栄菜は少し落ち着いた。仮にも新人戦という大事な日である。しかもスターティングメンバーに選ばれているのだ。
 ここで遅刻すれば一生後悔するかもしれない。
「そうだよ、急がなきゃ」
 大きなバッグを肩にかけ、栄菜は走り出た。
「行ってきまぁーすっ」
「行ってらっしゃい」
 何度も見聞きしている栄菜と同居人の会話は、いつもごく普通の家族のようで、兄と妹のようにも見える。
 月子は他者に対して臆病な自分を、悲しく思った。同時に親友にすまない気持ちで一杯になる。
(よく知りもしないで、嫌ったり怖がったりするなんて、いけないことだって分かっているのに)
 月子は彼の本名すら知らなかった。
「それじゃあ、行ってきます」
 小さく『れいちゃん』に会釈すると、彼は丁度扉を閉めているところだった。
「月子ちゃんも、気をつけて行ってらっしゃい」
 低い声は、大きくもないのによく通る。彼は、扉の陰の暗がりの中に佇んだまま、彼女たちの方をじいっと見つめていた。
 眼鏡の奥にある瞳が正視できず、月子はくるりときびすを返した。やはり、どうしても『怖い』という感情が拭えない。
 なぜだろうかと再び自己嫌悪に陥った月子に、弾丸のように走り去った栄菜が、彼方から呼びかける。
「月ちゃーん、早く行こうよ」 
 悩んでばかりの月子であったが、それでも栄菜と一緒にいれば自然と笑顔が広がるのだった。

 少女たちが公園をはしゃぎながら走り抜けていく。小さな小鳥が木陰からその様子をそっと見ていた。
「どうもひっかかるわね、やっぱり」
 別の場所でイリーナは呟いた。古びた倉庫の地下にある物置は、長い間持ち主に忘れさられており、彼女たちに居心地のいい場所を提供している。
 白い手が長い金髪をかきあげた。使い魔の目を通して見た光景が、平和そうに見えれば見えるだけ、イリーナの不審は再び頭をもたげ始めた。
「ねぇ、ユキヒサはどう思う?」
 物置のすみに横たわった男は目を伏せ、うずくまるようにして眠っている。
「やっぱり鍵はあの子みたいね」
 小さな笑い声だけがその場を満たしていった。



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