かつて騎士団に居たとはいえ、ユーリとシュヴァーンの間にさしたる面識は無かった。 にもかかわらず、レイヴンはなぜか牢の鍵をユーリに与えた。その結果ユーリはエステルと出会い、彼女とラピードと三人で帝都から逃亡することになった。
「もう、聞いてもいいだろ?」
ユーリは真顔だった。
「あいつらから、俺のことを何か聞いてたせいか?」
あいつら…とは、ルブラン小隊のことだろう……レイヴンにはユーリの言う意味が伝わった。
上司である隊長に何も報告しないわけがない。元騎士であるユーリでなくとも、隊長と部下とのつながりくらいは誰にだって想像がつく。
レイヴンは手に取った小石をぽいっと投げ捨てた。水音が一つして、小石は沈んでいった。薄くて丸くてよく跳ねそうな石だった。
「何か、意図があったんだろ? アレクセイが迎えに来てたってのに、わざわざあんな真似したんだからな」
困ったなといわんばかりに、レイヴンは腰にさした小太刀をいつものように軽く握った。
あの時のユーリの目には、それほど不自然に映ったのか。
当然といえば当然だが、そういえば、アレクセイにも同じようなことを言われたな……とレイヴンは蘇った記憶に苦笑した。
(さすがに鋭いとこを突いてくるわ……)
アレクセイなら、部下であるレイヴンが取った、不審な動きの意味など看破しているに違いない、ユーリはそう言いたいのだ。
「エステルのことと関係があんのか?」
何も答えないレイヴンに、ユーリは問いを重ねた。彼の口調に責める様子はない。だが、その眼差しには強い光が宿っていた。
「まさかと思ったぜ? 城の中で名前を聞いたら、あいつは素直にエステリーゼって名乗ったからな」
騎士団に居たユーリにとって、守るべき要人の一人である彼女の名前は知っていた。
出会った時に着ていた、上質な布を惜しみなく使ったドレス。金細工の美しい髪飾り。身につけているものだけでなく、その立ち居振る舞いや言葉の端から漂う気品。
身分の高い女性であること、その名前、何もかもが一致しすぎていた。
その彼女が騎士に追われている様子を目にしたのだ。守るべきはずの人に剣を向ける騎士たち……元々騎士団や帝国に不信感を抱いていたユーリは、彼女の願いを聞き入れ、ともに城を出る道を選んだ。
だが、それがもし、偶然ではないとしたら?
すべて仕組まれていたことだとしたら?
レイヴンはぽりぽりと頭をかいた。
「単なる気まぐれよ? ほら、青年ってば、牢から出たいって言ってたでしょ?」
「おっさん、耳が動いてるぜ?」
ユーリに指摘され、レイヴンは慌てて自分の耳を両手でふさいだ。
「えっ? あれ??」
「おっさんのクセだよな。嘘をつく時、必ず耳が動いてる」
また……同じことを言うんだな……レイヴンの瞼(まぶた)の裏に、緋色の鎧をまとった男の姿が浮かんで消えた。
「そんなことはないわよ」
大袈裟に否定するレイヴンをよそに、ユーリは押し黙った。
しばしの沈黙。
「アレクセイの差し金じゃあない」
レイヴンの口調が少しだけ変化した。
「本当に気まぐれよ、鍵を渡したのは。青年が牢から出る方法教えろって言ったのもきっかけの一つ」
レイヴンからおどけた雰囲気が薄らぐ。ユーリにもそれは見て取れた。
「青年は自分の道を選んだだけ。鍵を渡されても、逃げずにどどまる道もあった。違う?」
ユーリのまなざしがふっと和らいだ。レイヴンの言葉を信じたのか、そうでないのか、掴むことのできない不思議な空気。
「……そうだよな。悪かったな、おっさん」
「不審に思うのも当然だからね」
これ以上語る必要はない、レイヴンはそう結論付け口を閉ざした。
結果的にアレクセイの望んだ通りの結果となったとしても、それはあくまでも偶然にしかすぎない。
あの時仮に、ユーリがエステルと出会う可能性があったとしても、そこからともに行動し、城を出る可能性など誰も保障できないのだから。
レイヴンは首の後ろで両手を組んで、少しばかりおどけた様子で言った。
「まあ、おかげで、おっさん、監視の旅に駆り出されちゃったけどね」
みんなに胡散臭いって言われてさー、傷ついてたのよねー実は。
今度は、わざとらしく泣き真似をする。
仕方のないおっさんだなと言わんばかりに、ユーリの口元に少しだけ笑みが浮かんだ。
「おっさんにとっては、監視の旅……か。けど、本当は違うよな?」
ユーリは、広場に上がる階段に腰を下ろした。何となく落ち着かず、レイヴンも慌てて隣に腰を下ろす。
「えっと? どういう意味かしら?」
曖昧な笑いを浮かべるレイヴンを横目でちらっと見ただけで、ユーリは彼方に広がる星空に視線を移した。
「エステルと一緒に旅して、追手が少ないことに驚いた。ずっとな」
レイヴンは目を大きく見開いた。それに気づいたのか気付かないのか、ユーリは淡々と続ける。
「騎士団はみんなデコとボコみたいなヤツばかりじゃねぇ。それに、俺はあの時、賞金首だった。もっと本腰入れて追いかけてもいいはずだろ?」
レイヴンは沈黙した。
「それどころか、ヘリオードではアレクセイから直接、エステルの護衛を頼まれたりもした。騎士団に居たとはいえ、どこの馬の骨ともわからないヤツに皇族の……それも皇帝候補の護衛を任せる……おかしいとは思ってたんだ」
そんなことないわと言わんばかりに、レイヴンは手をひらひらと左右に振る。
「だって、青年ってば、ちゃんと嬢ちゃんを守ってきたじゃない。帝都から出て、ノール港までたどり着いて。さらにヨーデル殿下を救出したんだし、けっこうな功績よ? それにほら、フレン君も言ってたでしょ。エステリーゼ様を頼むって」
「それを俺に伝えたのはアレクセイだけどな」
かすかな皮肉。
「アレクセイは口実に使っただけ。言葉は真実よ?」
レイヴンは片目をつむってみせる。
あの時、フレンやキュモールと同じように、シュヴァーンはヘリオードに駐留していた。フレンと言葉を交わしていてもおかしくないのは、ユーリにも分かりすぎたことだった。それを踏まえた上で、レイヴンは続けようとした。
「だから……」
ユーリは、深く長く息を吐いて、レイヴンの言葉を遮った。
「騎士団の隊長が……それも首席が護衛についてんなら、誰も文句は言わねぇ」
凛とした横顔は彼方に向けられたままだった。
「違うか?」
揺るぎない意志に満ちた静かな声。
「おっさんはエステルの監視っていうけどな。本当は護衛の意味もあったんだろ?」
「はぁああぁぁ〜〜」
盛大なため息とともに、レイヴンは階段の上にごろんと横になった。
「服、汚れるぜ、おっさん」
「いーのいーの。この間、ダングレストでバイトした時、かっこいい服もらったから」
そんな問題なのか?と不可解な表情を隠さないユーリに、レイヴンはもう一度溜息をついた。
「買いかぶりすぎだよ」
低い声に感情の色は見えない。
「俺の任務はあくまでも監視だった。それ以上のことは命ぜられていない」
事実を事実としてのみ語る……そんな口調だった。
「おっさんはそうでも」と、ユーリはあえて声を強めた。
「アレクセイはヘリオードでエステルの力を見ちまった。そしてあいつの可能性に気づいた。内容が内容だから他のヤツには頼めねぇ。その上で護衛として評議会を納得させられる人間である必要がある。だからおっさんに命じた」
横たわったまま、レイヴンはユーリの顔をまじまじと見つめた。ふっと目が合った。
「そうなんだろ?」
「いや……ま…、えっとぉ」
レイヴンは、わざとらしくおたおたしてみた。
「ヘリオードであの時、アレクセイは俺にエステルを頼むとか言いながら、おっさんにも命令したんじゃないか」
騎士団長アレクセイ、キュモール、フレン、そしてシュヴァーン。フレンはまだ小隊長だったとはいえ、騎士団の主力といえるべき隊を束ねる者がそろい踏みだった。帝都がガラ空きになる……ユーリはそれを危惧したが、なんてことはない。ヘラクレスを造り出したアレクセイにとって、最初から、人間など脅威でも何でもなかったのだ。
「まるで見てきたようなことを言うのね」
ふて寝のごとく、レイヴンはごろんとユーリに背を向ける。土の階段の上にわずかに生えた草が冷たく、柔らかかった。
「間違ってたか?」
かかる声にはどことなく、レイヴンを気遣うような響きがあった。
「うんにゃ、大正解」
レイヴンがぴょこんと起き上がった。作りものめいた笑顔を浮かべて。
「アレクセイは“宙の戒典”を欲しがってた。その力をね。あの人の研究室でユーリも見たでしょ? 偽物も何本か作ってたみたい。それが……」
「エステルの力で代用出来るかもしれないと気付いた……だから研究を進めて、実際に使えるようになるまで監視下においたんだな」
分かっていたはずの事実であるにもかかわらず、ユーリの声に怒気がにじむ。
仕方のないことだろうとレイヴンは思った。
裏を返せば、それまでアレクセイはエステリーゼに利用価値を見出してなく、死のうが生きようがさして関心が無かったということになる。でなければ、魔物が跋扈(ばっこ)する結界の外へ簡単に連れ出させたりなどしない。
それをユーリは確認したのだ。
「ほんと、青年ってば、鋭いわねぇ」
「鋭くなんかねぇよ」
ユーリはふいっと視線をそらした。
様々な思いが彼の中を駆け巡っているのだろう。
(いやいや、ユーリは鋭いわ…)
下町を担当することの多いシュヴァーン隊の中で、ユーリ・ローウェルは非常に腕が立つことで有名だった。しかし同時に、頭の切れる人物だということは、あまり知られていなかったなとレイヴンは苦笑した。
束になるほどのユーリの調書。それを見れば一目瞭然なのだが。
あれだけの揉め事を騎士団と起こしているユーリだったが、いずれも牢に10日間ぶち込まれる程度の軽いものだった。
ユーリは剣を握っているにもかかわらず、相手の騎士に重傷を負わせていないのだ。
あの日、牢で鍵を渡した日もそうだった。
キュモール隊に取り囲まれた時、ユーリは戦うことを放棄した。それは、彼らに敵わないと思ったわけではないだろう。やろうと思えば、キュモールを含め、全員を斬り倒すことも、彼の腕なら可能だったはずなのだ。
だが、あえてそれをしなかった。
結果として、10日間牢に拘置されるだけの軽い罪となった。
(義に厚く、誇り高いのに、一歩引く柔軟さもある)
それでいて、どんな状況下にあっても周囲を見渡し、苛立ちや怒りはあっても、取り乱した姿は決して見せない。
今もまた、ユーリは自分の中で激しく渦巻いているだろう感情を、あらわにはしないのだ。
(まったくこの男は、恐ろしいほどの精神力を持ってるわ)
ユーリは己の罪を知り、向き合える。向き合った上で前に進む強さがある。
誰もが持つ、もろさや弱さ。
それを決して表に出さない心の強さ。
レイヴンはぱたぱたと服の汚れをはたいて、身を起こした。
うーんと大きくのびをする。
「おっさん?」
問いかけるユーリにレイヴンは笑顔を向けた。
「何だか、おっさん、眠たくなってきちゃった。そろそろ宿に戻ろうかな」
「悪ぃ」
ユーリは立ちあがり、レイヴンに背を向けた。
「長居しちまったな。俺は他のヤツらを見てくるから、おっさんはもう少し黄昏ててもいいぜ?」
「ちょ、何なのよー青年ってば、その言い方!」
レイヴンの言い方がおかしかったのか、ユーリの瞳にいたずらっぽい光がともる。
「おっさんくらいの年になると、そんな気分になり易いんだろ?」
音も立てずにユーリは階段を駆け上る。その姿は黒豹のごとくしなやかで敏捷だった。
「ゆっくり休めよ、レイヴン」
広場まで登り、ユーリは振り返った。長い黒髪が夜風に揺れ、旗のようになびいた。
「青年も、ね」
レイヴンは左手を振って応えた。
ユーリの姿はすぐに闇に溶けて消えた。言葉通り、大切な仲間たち……それぞれの様子を見に行くに違いない。
「まぁったく、まだ若いのに、損な性分だわね」
レイヴンは再びごろんと横になった。
夜空の彼方にいびつな光が見える。 世界を破滅へと導く“星喰み”。
「世界救済の旅か……」
ユーリには結局言えなかったが、単なる気まぐれではないのだと思った。
帝都で、わざわざ牢の中で彼を待った。そして、鍵を与えた。
今なら分かる。不思議な可能性をユーリに見たからだ。
何かが変わるかもしれないという漠然とした思い。
(まさか本当にこんなことになるとはな……)
あの時、騎士団から……アレクセイから離れることなど想像も出来なかった。それはすなわち、死だったはずだった。
バクティオン神殿で、激しく肩を揺さぶられ、生きろと言われた。全てが芝居だっとしても、ドンが死んだ時の怒りは嘘ではないはずだと。
ユーリの強い感情が、眠っていたはずの“心”を呼び戻した。
あの時、内側から確かに聞こえてきたのだ。
芝居だと言われて反論する「レイヴン」の声が……。
(さすが、俺が見込んだ男だけのことはある)
ユーリは間違いなく中心だった。この旅の中で、レイヴンも含め、みんなが彼の元に集まった。
そんな彼らをシュヴァーンとして裏切り、殺すための戦いをし、結果、心臓魔導器をさらした。
それでもなお、仲間たちは「レイヴン」を受け入れた。
最も恨んでいいはずのエステルまでもが、他の仲間たちと同じ様に、げんこつ一つで水に流した。
(こんなに居心地のいいもんだとは……思いもしなかったぜ)
ユーリの旅がエステルに出会ったことで始まったのなら、レイヴンの旅は、地下牢でユーリに鍵を渡したあの時に始まったに違いない。そしてもうすぐ、ひとつの区切りがつく。
「生きてるって、こんな気分なのね。おっさん、びっくりよ」
誰に語るでもなく、唇から言葉がもれた。
世界が破滅する手前だというのに、落ちてくるような満天の星空が、レイヴンの目にはどこまでも美しく映った。
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■参考スキット……「無敵な快進撃」
■参考サブイベント……「アレクセイの研究」
■当サイト内の関連SS……「ユーリと出会う前後3」、「アレクセイとの密談1」
++読まなくてもいい話++
今回は難産でした。「ユーリとの語らい1」は、私にしては短時間で仕上がったのに、上記の2の方はどうしていいもんやら、ぐるぐる……ぐるぐる……。
ユーリにとってレイヴンは、カロルやジュディスのように大切な仲間の一人かな?なんて思ったりもするんですが、レイヴンにとってユーリはまさに、開眼させた人!?なのかしらとか。ユーリはカロルが落ち込んでいた時も、しゃんとしろって励まして?いたし、エステルにも同様なんですが、言われた方は、ヘコみかけてた自分を揺り動かす存在として、認めざるをえないような。そして、ついていきたくなる(笑)
ユーリの凛としたトコとか、弱さを見せないトコとか、そういう精神面の強さが「兄貴分」的な雰囲気を作っているのかもと思います。
2009.08.31.
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