牢 3   

 
「先ほどは何をしていた?」
 牢を出てすぐ、騎士団長アレクセイは後ろを振り返ることなく尋ねた。
「お前のことだ。何かしら意図があるのだろうが」

 揺るぎのない意志が凝結したような口調。10年以上も前からずっと耳にしてきた声。
「それより大将。俺はこれから何すればいいんでしょうねぇ?」
 重々しい甲冑に身を包んだ騎士団長の後ろから、レイヴンはとぼけたような口調で返した。
 騎士団長の側には複数の親衛隊。囲まれるようにして歩くレイヴンは、一見すると連行されているように見えなくもない。
「まずは、その姿を改めろ。話はそれからだ」
 はばかるように抑えた声は、しかし、重さと鋭さを失ってはいなかった。
 騎士団長の向かう先はシュヴァーン隊の詰所。
 首の後で組んでいた手を離し、レイヴンはかすかに頷いた。





「おい、おまえ!」
 誰かが肩を激しく揺すっている。
 なんだ、うるさいな、もう少し寝させてくれ……
「どういうことだ、持ち場で居眠りとは!」
 牢の当直だった騎士Bは飛び上った。
 揺すっていたのは次の番の騎士C……。
「え……俺……寝てた…??」
 最後の記憶は、シュヴァーン隊の小隊長からもらったミックスグミを頬ばったところまで。
 さすが、高級なグミ、疲れ切った体がみるみる回復し……
(キュモール隊長とは違い、シュヴァーン隊長は俺たちみたいな下っ端にまで気前いいよな)
 そう思ったところまでだ。
 騎士Bは現在、キュモール隊に所属している。しかし、なぜか時折、シュヴァーン隊から刺し入れが届くのだ。
 これは騎士Bが特別というわけではない。
 理由は不明だが、10年も前から、牢の当直の騎士には、シュヴァーン隊長からとおぼしき差し入れが届く。
 日の当たりにくい仕事に対する礼賛ととる者もいれば、地味だが重要な仕事に対するねぎらいと取る者もいる。
 事実、牢の当直になって1年あまり。囚人の見張りも楽ではない。
 毎月のようにぶち込まれてくるユーリ・ローウェルは、騎士に対して何か恨みでもあるのか、冷淡で皮肉屋だ。綺麗な顔をしている割には、腕がめっぽうたつので、その落差がまた近寄りがたい印象を与える。
 正直ちょっと怖い。
 今日も見事にぶち込まれてきたが、とても話しかける気にはならなかった。
(そういや、あのおっさん…)
 派手な異国の上着に身を包んだ無精ヒゲの男もまた、何度か牢で出会っている。
 こちらは無駄に話術が巧みで、いつも騎士Bの知らない「外」の世界の話を面白おかしく聞かせてくれた。
 ただし、あまりに胡散臭い話が多すぎて眉つばだし、この男の取り調べをしにきたシュヴァーン隊の騎士には、理由もはっきりしないまま何度か叱られた。かなり面白くない記憶だ。
 牢番などという仕事は、罪人と親しくすることなどもってのほかだろうから、当然といえば当然だろうが……。
 単調だが楽しい仕事でもないし、誇らしく胸を張れるかというとそうでもない。
 ただ真面目に勤めていれば、意外と大抜擢されることも少なくなかった。
(だから、俺、けっこう真面目にやってたのに)
 差し入れなどの関係から、シュヴァーン隊長が推挙しているのではという噂もあるが、隊長首席といえば実質騎士団のナンバー2である。そんな方と、牢番では接点も何もない。
 根も葉もない噂にすぎないが、しかし、気力を高めるには十分な内容だ。
(なのに眠り込んでしまうとは!!!!!)
 騎士Bの不幸はそれだけに留まらなかった。
「大変なことだぞ。ユーリ・ローウェルが脱獄した」
「何っ!」
 文字通り目の前が真っ暗になった。
 キュモール隊長は非情な方だ。どんなおとがめを受けるのか……考えただけでも恐ろしい……。
 交代の騎士も同じキュモール隊に所属している。もうおしまいだ……。
「こ……このことは……」
「ここにもう一人おっさんがぶちこまれていただろ?」
「? あ、ああ…。情報屋とかで、団長閣下が連れていったが……」
「じゃあ、そいつは脱獄したわけじゃないんだな。なら話は簡単だ」
 交代の騎士Cは声を落とした。
「オマエは居眠りなんかしてない。ユーリ・ローウェルに強行突破されたんだ」
「!」
「あいつが腕がたつのは周知の事実だ。騎士団に居たから、城の構造はもちろん、牢の構造にも詳しいかもしれん。不自然な話じゃない」
「口裏を合わせてくれるのか?」
「始末書程度ですめばいいが、キュモール隊長に居眠りしたことがバレてみろ。自分のことを棚に上げて怠慢だの何だのでヘリオードあたりまで飛ばされるぞ」
 騎士Bは震え上がった。十分にありえることだ。
 騎士Bも騎士Cも、ともに没落貴族の遠縁程度の身分しか持ち合わせていない。それでも貴族出の騎士が主に配属されるキュモール隊に配属された。結果は牢の見張り番だ。
 隊のイメージカラーであるハルルの花色の鎧など、身に付けることなど許されない下級騎士に属する。
 帝都に居られるだけでもマシだが、キュモール隊長や、ほかの名のある家の出の騎士たちからは、下民扱いである。
「はあ……なんで今まで脱獄なんて計らなかったのに今日に限って……」
 脱獄の罪はローウェルだけではない。当直の騎士もまた責任問題で叱責はまぬがれない。
「あいつめ……ひょっこり戻ってきたりしないかな。そうすれば何事も無かったことにするのに……」
 つぶやきを耳にし、騎士Cはさすがにたしなめた。
「ローウェルをとらえて、もう一度、牢にぶち込めばいいんだ。罪人が居なくなった以上、見張りの意味もないからな。俺も手伝ってやるからシャキッとしろ」
「すまない…」
 キュモール隊に居るかぎり出世の道はない。だが、降格などもってのほかである。
 ローウェル逮捕を心に誓い、二人の騎士は、まだ静かさを保っている城内へと駆け出した。

 
 





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2009.06.18