シュヴァーンの命令   

  磨き上げられた回廊に、力ない足音が響いた。
「シュヴァ〜ン隊長から直々にお呼び出しとは……本当はお怒りなのであ〜る…」
「…当然なのだ。我々はユーリ・ローウェルを取り逃がしてしまったのだ…」
「エステリ〜ゼ様もであ〜る。大問題なのであ〜る…」
 アデコールとボッコスは同時に肩を落とした。長い溜息がもれ、沈んだ面持ちだ。
「ばっかもーん! 落ち込むでなーい!」
 静かな城内にルブランの大きな声がこだまする。
「先ほどのやりとりを聞いていなかったのか!  シュヴァーン隊長はキュモール隊長からおまえたちを庇ってくだされたのだぞ!?」
アデコールとボッコスは顔を見合わせ、再び長い長い息を吐いた。
「それなのだ、きっと…。シュヴァーン隊長からせっかく教えてもらったのに、ユーリ・ローウェルを現行犯逮捕できなかったからなのだ…」
「キュモ〜ル隊にいいとこ全部、もって行かれたのであ〜る…。がっかりされたに違いないのであ〜る…」
「む? どういうことだ、おまえたち! シュヴァーン隊長に何を教えて……」
 振り返ったルブランから問いかけられ、アデコールとボッコスは慌てて口をふさいだ。
「何でもないのであ〜る」
「そうなのだ。シュヴァーン隊長の教えを守り、騎士として迅速に行動しただけなのだ」
 ごまかすように2人は胸を張る。だが実際には、流れ落ちる冷や汗をどうにも出来ないでいた。
 市井に紛れるための仮のお姿のシュヴァーン隊長と、言葉を交わしただけでも大問題である。ルブランが知れば列火のごとく怒るに違いない。だが、問題はそれだけではないのだ。シュヴァーンから与えられたユーリ・ローウェル逮捕の機会を、みすみす逃してしまった。無能もいいところである。
 2人はぶるりと震えた。
 小隊長だけではなく、自分たちのような下級騎士までお呼び立てとあらば、そもそも穏やかな内容であるはずがない。
 虚勢はどこへやら、アデコールもボッコスも、果てしなく項垂れた。
「しゃきっとしろ! 栄えあるシュヴァーン隊の騎士が、そのような姿を見せるものではない!」
 叱りつけるルブランのこめかみには青筋が浮いている。慌てて、アデコールとボッコスは姿勢を正した。
「よいか、隊長の前で、くれぐれも失礼のないようにするのだぞ?」
「わかりました、なのだ」
「了解、であ〜る」
 ルブランは額に軽く手を当てた。2人とも任務には真面目に取り組むし、武芸の方もそう悪い方ではない。失態が多いのは、相手があのユーリ・ローウェルだからだろう。あれほどの手だれを相手にしていれば、自然と始末書も増えるものだ。
 だが、それを別にしても、この2人に漂う「ふざけた感」というのはどうしたものか…。
 エヘンと咳ばらいを一つして、ルブランはとある扉の前で足をとめた。
 一呼吸置いてから、2度ノックをする。
「ルブラン以下2名、参上いたしました」
「入れ」
 扉の向こう側から低い声がかかる。
「はっ! 失礼致します」
 ルブランに続き、アデコールとボッコスもおそるおそる入室した。シュヴァーン隊長の執務室など、滅多に入れるものではない。小隊長クラスならいざしらず、隊のカラーである橙色の鎧もまとえない下級騎士の2人にとっては正に聖域だった。
「やはり……隊長は違うのだ……」
 ボッコスが小さくつぶやく。  
 広く美しい部屋だった。豪奢ではないが、質の良い調度品が置かれ、壁の一面は書棚で埋まっている。壁紙も、壁に掛けられた絵も品が良く、どちらかといえば貴族など上流階級の人間に相応しい雰囲気が室内に満ちていた。
「とっても立派なのであ〜る……」
 アデコールも感嘆の声をもらす。シュヴァーンは通常、詰所内にある彼の個室で過ごすことが多いが、そこはここに比べると大変粗末だということがよく分かる。
 「こら、黙らんか!」
 ルブランが小声で叱責した。
 (シュヴァーン隊長がいらっしゃるというのに、まったくこいつらときたら……)
 室内のどの調度品よりもどっしりと重々しく、威厳すら感じさせる机の前で、ルブランは足を止めた。両足を揃え、胸の前に右腕を掲げ、騎士の礼をとる。アデコールとボッコスも小隊長にならって、背筋を伸ばした。
 シュヴァーンは肘掛のついた椅子に腰掛け、書類に目を落としていた。帝都を離れていた間にたまった報告書を片づけている最中なのだろう。時折、美しい筆跡で指示を描き加えたり、署名をしたりしている。
「ルブラン」
「はっ」
 名前を呼ばれ、ルブランは緊張した。隊長に名前を呼ばれることは、彼にとって栄誉以外の何ものでもない。
 シュヴァーンは一瞬視線を上げ、ルブランと顔を強張らせたままの2人の下級騎士を確認するように見た。そして、また、書類に何事か記していく。
「おまえの小隊を呼んだのは他でもない。ローウェル及びエステリーゼ様を至急追跡しろ。ローウェルは逮捕、姫様には帝都にお戻りいただく」
(なんと……我が小隊にそんな重大な任務を……)
 ルブランは奮えた。今回は市民の妨害に合ったとはいえ(最終的には犬だったが)、すんでのところでユーリ・ローウェルを取り逃がすという、大失態を犯してしまった。にもかかわらず、シュヴァーン隊長は他の小隊ではなく、ルブラン小隊を選んだ。
(我々に名誉挽回の機会を与えてくださるのか……)
 胸に熱いものが込み上げ、まぶたが潤んだ。
「はっ!このルブランが、世界の果てまでもユーリ・ローウェルを追い、きゃつの手から姫様を取り戻します!!」
 ルブランが敬礼するのに合わせ、アデコールとボッコスも慌てて敬礼した。
「くだんのユーリ・ローウェルだが……女性に狼藉を働くような人物か?」
 ペンを一旦置き、シュヴァーンは別の書類の束を手に取り素早く目を通していく。帝都に居る時間が限られているからこそ、彼の行動は常に迅速で無駄が無かった。
「はっ! 私見を申し上げます。きゃつめは我ら帝国騎士に対して悪行の限りを尽くしますが、なぜか下町の住人にはとても慕われているようです。女性や子供からの信頼も厚いようでありまして」
 ルブランの言葉に返答することもなく、シュヴァーンは書類の束から一枚を取り上げ何事か記した。
「私はまた、しばらく帝都を空ける。その間、他の小隊長との連絡を密にし、任務を遂行しろ」
「はっ!」
 シュヴァーンはルブランの背後で直立不動の姿勢を取っている2人の下級騎士をちらりと見やった。
「これまで通り、帝都の外で私の姿を目にしても、無いものとして振る舞え」
「はい、なのだ」
「であ〜る!」
 2人の返答にルブランは怒鳴りつけたい衝動にかられた。隊長首席が目の前にいなければ、即座に実行していたことだろう。だが、シュヴァーンはさして気にもとめていないようだった。青みがかった碧色の瞳は、書面の上につづられた文字をなぞっているままだ。
「もう良い。下がれ」
 ルブラン以下2名は深く頭(こうべ)を垂れ、執務室を後にした。
 
「き……緊張したのだ」
「まったくなのであ〜る」
 執務室から一歩出たとたん、アデコールもボッコスも興奮さめやらぬ様子で口ぐちに感想を述べ合った。
「だが隊長はあれだけ偉いのに、やはり偉ぶったりしないのだ」
「そうであ〜る! キュモ〜ル隊長とは挌が違うのであ〜る!」
 隊の詰所に早歩きで向かってはいたが、その足取りもいささか緩みがちだ。
 シュヴァーンから与えられた任務は何よりも重大であり、遂行せねばならないだけに、ルブランは背後から2人を執拗に追いたてた。
「こら、黙って歩け! まったくおまえたちときたら……」
 何度目かの叱責しかけて、ルブランははたと思い到った。
 隊の一部の者だけが知る隊長の秘密。アデコールもボッコスも分かっているはずの緘口令を、シュヴァーンはあえて口にした。
 まるで念を押すように。
「おい、おまえたち。まさかとは思うが、シュヴァーン隊長に町中(まちなか)でお会いしたのではあるまいな?」
 城内は広く声も響きやすい。ルブランは限りなく声を落とした。しかし、2人は小隊長の意図などまるで分かっていないのか、みるみる慌て始めた。
「あああ…会ってなどないのであ〜る」
「そうなのだ、街中ではなくお城の前だったのだ」
「ボッコス! これでは隊長に教えていただいたことが、ルブラン小隊長に分かってしまうのであ〜る!」
 ルブランは頭痛に見舞われた。叱り飛ばす前にこれだけ気が削がれるのはなぜなのか…。
「ぬぬぬ………お前たち、声をひそめろ」
 ルブランは心底思った。なぜシュヴァーン隊長は、この者たちが極秘事項を知ることを許したのか……。皆目見当がつかなかった。
「事態は一刻を争うのだ。とにかくかいつまんで聞かせろ。いいか、小さい声でだぞ?」
 歩くどころか既に小走り状態である。アデコールとボッコスはだらだらと油汗を流した。
「弱ったのだ…アデコールが余計なことを口ばしったせいなのだ」
「余計なことを言ったのはボッコスなのであ〜る! まったくの濡れ衣なのであ〜る」
「おまえたち……人の話を聞いているのか?」
 2人は振り返ることが出来なかった。そのくらい、恐ろしい声音が背後から聞こえてくる。
 もはやこれまで……観念するしかなかった。


「ぬぁんだとぅおおおおおおお」
 回廊に絶叫がこだまする。
「ルブラン小隊長……いつもながら声がでかすぎるのだ」
「耳が割れそうなのであ〜る……」
 見回りの騎士がいぶかしげに伺っている。だが、騒ぎの元がルブラン小隊だと分かると、せせら笑って通り過ぎた。
 またあの出来損ない小隊かとその目が言っている。
 だがそんなことにかまっている暇などなかった。部下2人から聞いたいきさつは、ルブランを阿鼻叫喚させるには十分な内容だったからだ。
「せっかく与えてくだされた機会を……まったくおまえたちは……」
 ぜいぜいと荒い息をもらし、ルブランはその胸にあふれた苦しみと戦わなければならなかった。
 ローウェル逮捕に失敗した話は確かに聞いた。だが、それはキュモール得意の、侮蔑のための誇張された表現だと半分は思っていた。
 だが、話をきけば、2対1でも勝負にならなかった挙句、キュモール隊がその場にかけつけなければ、ローウェル逮捕すらままならない状況だったという。そんな有様では、確かにキュモールに愚老されてもいた仕方ないだろう。  
 それと同時に、ユーリ・ローウェルも賢い奴だと舌を巻く。下級騎士2人くらいならやっつけて逃亡してもそれほど重い罪にはならないが、キュモール隊長以下、多数の騎士が相手ならば話は違ってくる。
 ルブランは知っていた。ユーリ・ローウェルの腕ならば、あの場に駆け付けたキュモール隊も隊長のキュモールも、討ち倒して逃亡することが可能だったはずなのだ。
「……ぬぅうううぅぅ……いや、まあそれは良い…」
 本当は良くないのだが、とりあえず、ユーリ・ローウェル逮捕の任務を与えられた今、過去の失敗をくどくど言うよりも先に、すべきことは山ほどある。問題は別なのだ。
「おまえたち、まさかとは思うがユーリ・ローウェルと相対した時に、とある人から通報を受けたとか何とか、余計なことを言ったのではあるまいな?」
 口ひげを震わせ、ぎろりと睨みつける。
「ルブラン小隊長は心配症なのであ〜る! 騒ぎを聞きつけたとちゃんと説明したのであ〜る」
「そうなのだ。やつめ、我々が待ち構えているとも知らず、堂々と正面から出てきたのだ!」
 ルブランは何ともいえない微妙な顔をした。
 得意でたまらないのかアデコールとボッコスは思い出し笑いまでしている。
「とても自然なのであ〜る」
「ユーリ・ローウェルめ、さすがに驚いていたようなのだ」
  彼らはそう言ってはいるが、いちいち説明するのも不自然な気がしなくもない。
「……そうか、おまえたちが分かっているのならば、何もいうまい…」
 ルブランはあきらめた。
 彼らは大層真面目なのだ。まじめなのだがその真面目さが、なぜかおかしな方向に空回りしてしまうのである。
(まったく我らがシュヴァーン隊のどこを探しても、おまえちたちほど個性的な者はおらんわ……

 シュヴァーン隊の詰所には当直の騎士が数名いるだけで、ほかの小隊の姿は無かった。ルブランは入るなり、この場にいないルブラン小隊の他の騎士を呼びつけるよう命をくだす。当直の若い騎士たちが慌てて外に走り出した。
 背後でぜーぜーと荒い息をもらし、疲れ切った様子で倒れこんでいる2人の騎士には目もくれず、ルブランはまっすぐ壁際の物入れへと向かう。
「いいか、この任務を必ずや遂行し、今度こそシュヴァーン隊長のお役に立つのだ! 我々が功績を上げれば、隊長の名もさらに高まる。よいな!」
 旅の身支度を整えながら、ルブランはアデコールとボッコスに何度目か分からない檄を飛ばした。




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+++読まなくてもいい話+++
もしもこうだったら、色んな意味で面白いなあと思いながら書いてます。ルブラン小隊は、隊長に対する愛にあふれてて大好きです♪♪♪
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2010. 2.11.















 

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