出立(しゅったつ)  

 「よいか、我々はこれからユーリ・ローウェルの追跡に向かう。その間おまえたちは、帝都の守備にあたれ。何か変わった動きがあれば、すぐ知らせるのだ」
 ルブラン小隊長の大きな声が、シュヴァーン隊の詰所内に響いた。
 追跡のためにルブランが選んだのはアデコールとボッコス、別動隊として選んだ数名の騎士のみだ。彼らはみな旅支度を整え、すぐにも出立できる状態だった。
「わが小隊は、シュヴァーン隊長直々に御指令をいただいた。大変栄誉なことである。シュヴァーン隊の名に恥じぬよう全力を尽くし任務を遂行しろ」
 ルブランは小隊を3つに分けた。追跡班は2班。待機班は1班。待機班は他の小隊との連携を取る役目もあるが、帝都で情報を取りまとめ、随時知らせる役割も持つ。
「それと……」
 ルブランはぎろりと騎士たちを見回した。
「ここには常に宿直の者が居るはずだな。……さきほど、詰所内の隊長のお部屋を確認した。部屋の隅に埃が落ちていたぞ! 」
 宿直にあたるのは何もルブラン小隊ばかりではない。騎士たちは一様にげんなりした。ルブラン小隊長は大変真面目であるし、シュヴァーン隊長の覚えもめでたい。しかし……。
「ルブラン小隊長殿はまるで小舅なのだ……」
「まったくなのであ〜る」
 アデコールとボッコスは聞こえないようひそひそと不満をもらした。
「隊長の部屋はこまめに清掃されているはずなのであ〜る」
「先週は我らが当番だったのだ」
 部屋の隅々まで掃き、机や棚を拭き、鎧を磨き、寝具を干す。それを思い出しながら、2人はそろって首をかしげた。
 つい今しがたシュヴァーン隊長の執務室を訪れたが、非常に立派な部屋だった。上質な調度品が置かれ、床には絨毯も敷かれている。執務をこなすための机の重厚さ、部屋の隅に置かれたベッドの大きさ。実質、騎士団長アレクセイに次ぐ地位にあるのだから当然といえば当然だろう。
 特に、広く美しいベッドは遠目に見てもふかふかで、普段固い寝台の上で休息を取っているアデコールとボッコスにとっては、1度は横たわってみたい類のものだった。
 対して詰所内にある隊長の個室は質素だった。机もベッドも下級騎士と同じもの……棚に置かれた書物や地図なども少しばかり変色し、使いこまれた跡が見受けられる。特別居心地が良さそうには見えないのだが、シュヴァーン隊長は詰所内で休息を取ることの方が多かった。
 下級騎士と同じ固い寝台、薄い毛布……もちろん騎士たちは敬愛する隊長のために、もっとよいベッドを、よい寝具をと考えなかったわけではない。だが、シュヴァーン自らが必要ないと断った。
「シュヴァーン隊長は、おくゆかしい方なのだ」
「そうなのであ〜る。ものすごく偉いのに、我々と同じ目線も大切にされているのであ〜る」
 アデコールとボッコスは感動してきた。考えれば考えるほど、地位も名誉も権威も威厳もある隊長が、質素な部屋で下級騎士と変わらぬ休息を取る――そのことが美しい行為に思えてきた。
「くぉら!おまえたち、何を無駄話しとるかぁ!」
 アデコールとボッコスは反射的に姿勢を正した。
 ルブランは下級騎士2人をねめつけた。彼らを真面目だと評価したが、いや、こんなに無駄話ばかりするのだから、違うのかもしれない……ルブランは後悔した。
 なぜこの2人を自分は追跡隊に選んでしまったのか……。
 シュヴァーン隊長の部屋に共に呼ばれ参上したからかもしれないが、実際には、隊長から彼らを追跡隊に加えろとは言われていないのだ。
「よいか、常にシュヴァーン隊の騎士であることを自覚し、それに見合った行動を心がけるのだぞ」
 ルブランは念を押した。いくらおしてもこの2人には足りないくらいだろう。
「はい、なのだ」
「であ〜る」
 到底真面目とは思えない返答だが、ルブランはそれ以上叱り飛ばすことはしなかった。あきらめたといっていい。
 自身を納得させるように心の中で何度も繰り返す。
 これがこの2人の個性なのだ……きっと……。
 

 執務室の窓から、シュヴァーンは城下を見降ろしていた。
 遠く城門に向かう橙色の鎧をまとった騎士たちが見える。彼らの姿が城壁の陰に消えるとシュヴァーンは再び机に戻った。
 置かれた書類の山の中から、まとめられた一束を取り上げる。 騎士団長アレクセイがまとめた束。ユーリ・ローウェルについての調書だった。
 再びそれに目を落とし、部下からの報告も合わせ思考を巡らす。
 フレン小隊への伝達事項のことを考えれば、騎士の姿の方がよいだろう。だが……
 シュヴァーンは部下の騎士を呼び束を渡した。文官の名前を上げ、その者に戻すように命じる。
 部下が退室したあと、シュヴァーンは机の上の書類の山を手に取り、もう一度確認した。全てに目を通し、署名も終わっている。隊の小隊長にはそれぞれ指示を与え、これまで通り帝都を離れ行動する間も報告が上がるよう手筈は整えてある。
 現在最も大切なのは、ヨーデル殿下奪還。そしてその間エステリーゼ姫と評議会の接触を断つこと。
 アレクセイの命は明確だ。
 シュヴァーンは書類の山を別の文官に引き継がせ、足早に詰所に向かった。
 彼の私室。その中にある古びた棚の一番下。麻袋に無造作に詰め込まれている派手な色の羽織、簡素な造りの小太刀、髪紐……。
 諜報活動のために作られた架空の存在「レイヴン」。帝都を離れ、「彼」として過ごす日々が再び始まる……。
 

 
 



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2010. 3.14















 

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