下町にて  

 見慣れない客だなと、おかみは思った。
 異国風の羽織にざんばら頭。まっとうな旅人には到底見えない、いかにも「ギルド風」の出で立ちの男。
 騎士団の権威が最も強いこの帝都にあって、ギルドの人間を見かけることは珍しい。しかもこんな昼下がりに堂々とだ。
 男は入ってくるなり、ひょいひょいっと中階段を駆け上がり、カウンター席にすとんと腰を下ろした。おかみの背後、括り付けの棚に並ぶ酒瓶を真剣に眺めている。
 いや……とおかみは思いなおした。むしろ、下町の小さな酒場だからこそ、ギルドに属する人間がふらりと立ち寄るには最適なのかもしれない。
「何になさいますか?」
「えっとー、一番上の右から2段目……ああ、そう、それ! それを水割りでちょーだい。薄いのがいいな」
 別に不審というわけでもないが、どことなくおかみは違和感を抱いた。昼間から酒を注文したからだろうか。いや、一日中酒をあおり続ける輩も中にはいる。
「はいどうぞ」
 しばしの後酒を出すと、男は無邪気に喜んだ。
「昼間っから酒が飲めるって、幸せよねー」
 一気に飲み干したりはせず、ちびりちびりとやっている。
 あんまり酒に強くないのだろうか? おかみは首をかしげた。
「おーい、こっちにも酒だあー」
 別のテーブルから声がかかった。みれば初老の男がぐでんぐでんに酔っぱらっている。
「もうやめときなよ? 体にさわるよ」
 商売そっちのけでおかみはたしなめた。
「いや、ユーリの新たなる出発にだなあー、乾杯せずにー何をするー?」
「あんたはそうやって、ユーリにかこつけて酒飲んでるだけだろ?」
 叱り飛ばしたおかみに別の声がかかった。
「いいじゃないか。ユーリが帝都を出て行くなんて、みんなわくわくしてんだから」
「騎士団に追いかけられてな」
 また別の誰かの声がかかる。その場にいた客たちからどっと笑いが起きた。
「そうそう、かわいい彼女連れてたぜー?」
「ユーリも隅におけねぇな。あいついつのまに」
「もー、ユーリはわたしと結婚するのー!」
 小さな少女がふくれている。
「いやー、びっくりしたわぁ。ここって酒場かと思ったら、みんなの憩いの場なのね?」
 酒の入ったコップをかたむけながら、羽織の男が一人ごとのようにもらす。
 おかみは「すみませんねぇ」と謝った。
「いつもはこんなにお客さんが多いつてわけじゃないんですけど、今日は……」
「あー、何かさっき大騒ぎしてたアレ?」
「ええ、まあ…」
 どう見ても、目の前の男は帝都の人間ではないだろう。おかみは自然と言葉をにごした。
「何かよくわからんけど、めでたい日なんでしょ。俺様ものっかっとくわー」
 男は酒を飲みほし、ぷはーと息を吐く。
「安い割にけっこう美味しいじゃない。もう一杯もらえる?」
 おかみが酒を出す間、男は頬杖をつき、空っぽのコップに視線を落としていた。時々思い出したようにコップを揺らしている。酒を待つ間、手持ち無沙汰なのだろう。おかみはそう解釈した。
 その間も客たちは、ユーリとフレンの子ども時代のいたずらや、つい先月ユーリが騎士団ともめて牢屋にぶちこまれた件など、大笑いしながら語り合っている。次から次へと尽きることなく語られる話の数々。酒の肴にはもってこいなのだろう、客たちは終始楽しげだった。
「はい、お待たせしましたね」
 男の前に酒を置くと、男は「ああ、ありがとね」と受け取った。くったくのない弾けるような笑顔が広がる。
 だが、酒を置く直前おかみが見たのは、うっすらと微笑を浮かべた理性的なまなざしの男……目の前の男とはまるで別人のような顔……。
 おかみは目をごしごしとこすった。
「ねー、ここって宿屋兼酒場なんでしょ?」
「えっ、はい。そうですよ」
「みんなの憩いの広場も兼ねてるすごい宿屋なんだねー♪」
 男の浅黒い肌にわずかに朱がさしている。どうやらいい感じで酔っているようだ。
「酒もうまいし、お客は愉快だし、いい店よね、ここ♪ 俺様気に入っちゃったわー」
「そりゃ、ありがとうございます」
 やはり見間違いだったようだとおかみは笑った。一見すると胡散臭いが、こうして話してみると独特な口調のせいだろうか、害のある人物には見えない。
「まあ、お客は少ないですけどね」
 「箒星」は1階が酒場、2階が宿屋となっている。
「俺様、今晩泊まるとこがないのよねー。空いてるかしら」
「今日ですか?」
 おかみはうーんとと考え込んだ。1室は長期滞在者のために貸しているし他の部屋も珍しくうまっている。
「……ユーリの部屋じゃいけないだろうしねぇ」
「俺サマ、ベッドがあればどこでもいーわよ?」
「ああ、違うんですよ、宿として貸してない部屋のことで……」
「もー、ユーリの部屋は絶対だめだよ!」
 いかにもわんぱくそうな少年が、男とおかみの間に割って入った。
「なんだい、テッド! びっくりするじゃないか」
 テッドはおかみを見て、帝都ではあまり見慣れないかっこうをした男を見上げた。
「貸したりしないよね?」
 カウンターの中に入り、おかみにひそひそと問いかける。男はそっぽを向き、聞こえていないふりをした。
「安心しなよ? 大体、ユーリの部屋なんて、すぐに貸せるわけないだろ?」
 おかみが片目をつむると、テッドは得心がいったようにぷっと笑った。
「そうだったね。きっとユーリのことだから……」
 おかみとテッドは顔を見合せて笑った。それはまるで家族を思うような、そんな温かな笑いだった。
 羽織の男は亭主を呼んで、黒板に書かれた今月のオススメメニューを指さし何か注文している。おかみは別の客のために酒を用意していたが、テッドもごく自然とそれを手伝った。
「ぼく、ユーリが帰ってくるまで、ユーリの部屋、時々掃除しようかなって思うんだ。ラピードの毛とかユーリほったらかしのままだし」
「テッドがお掃除かい? ありがたいねえ。ま、あたしも、あいつが帰ってくるまでは、上の部屋はそのままにしとこうかと思ってるんだよ」
「当然だよ! じゃなきゃ、ユーリが帝都に戻ってきた時、帰る場所がなくなっちゃう」
 テッドはうつむいた。
「ユーリ……すぐ帰ってくるのかな?」
 おかみは「さあねえ」と少し笑って首をかたむけた。
「あたしは、しばらくは帰ってこない方がいいと思うんだがね」
「……どうして?」
 少年の瞳には紛れもない寂しさが見て取れ、おかみは困ったように頭をなでた。
「もーやめてよー」
 恥ずかしいのかテッドは暴れた。いつもこうして強がってはいるが、まだ年端もいかないこどもなのだ。
「フレンがね……心配してたのさ。まあ、あたしもだけどね。騎士団をやめてからこっちユーリは下町のみんなのために色々してくれた……でも、このまま変わり映えのしない毎日を過ごして、下町の中だけで世界が終わっちまうってのは違う気がするんだよ」
 テッドはぽかんとおかみを見上げた。言葉の意味がいまいち理解できなかったのだ。
「あの子は広い世界に出ていくべきなのさ。それだけの力があるんだから……」
 素晴らしい剣の才能を持ち、ぞんざいな態度とざっくばらんな口調から誤解を受けることも少なくないが、その実、ユーリは情に厚く、弱い立場の人や困っている人を見過ごせない性質(たち)だ。その強さは守るための強さでもある……おかみのまなざしがふっと遠くなった。
 酒場の窓からは抜けるような青空が見える。この空の下、どこかにユーリは居るのだ。

 テッドはおかみのエプロンのすそを引っ張った。
「帝都を出た方がユーリのためになるってこと?」
「そうさね。あたしはそうだと思うけどね」
 カウンターから外に出て、別の客に酒を運ぼうとしたおかみに、羽織の男が声をかけた。
「いやー、久々に楽しかったわ。酒は美味いし……なんか思った以上の収穫って感じ?」
 ガルドをカウンターに置く。
「また機会があったら、寄らせてもらうわ。今度は泊まらせてねー」
「立派な部屋はないですけど、ぜひ来てくださいな」
 男は片目をつむってみせた。
「清潔できちんとしてるのが一番よ。何もかも立派だと逆に落ち着かないもんじゃない? 想像だけど」
 おかみは笑った。
「そうですね。そんなもんでしょうね」
「じぁあねー♪」
 男はおかみに手をふり、テッドにも身をかがめて小さく手を振って、来た時と同じようにひょいひょいっと中階段を降りていった。
「あっ」
 おかみが声を上げた。カウンター上のガルドを見つめる。
「ちょっと……これじゃ、もらいすぎだよ……」
「僕、追いかけて、返してこようか?」
 テッドが心配そうにのぞきこむ。意外といいおじさんみたいだったし、少し貧乏そうだった……。
「そうさねぇ……」
 おかみはしばし考えてから、首を振った。
「いや、いいさ。あの人は分かってこれを置いて行ったみたいだからね。もらっとくよ」
 騎士団がウロウロしているこの街で、羽織の男は今夜の宿をこれから探すのだろう。
 いい宿が見つかればいいがとおかみは思った。

 宿を出て、羽織の男は足取りも軽やかに、下町の中心部にやってきた。
 広場の中央にある水道魔導器に魔核はなく、魔導器としての機能は完全に停止している。
 積まれた土嚢の跡、くぼみに残る水たまり。
 下町の水不足が深刻化するのは誰の目にも明らかだった。
「なるほど……騎士団はアテになんないから、自分で何とかする……か」
 少しばかり眺めてから、男は下町側から帝都を出ようとした。騎士団との鉢合わせを避けたいのもあったが、ここ何年も下町を見回っていなかったことも理由の一つだった。
「……ほう、これは珍しいお人がおるもんじゃ」
 腰の曲がった小さな老人が男に話しかけてきた。鼻眼鏡をかけ、声もしわがれてはいるが、しっかりとした口調と物腰にはある種の「強さ」があった。
「そのような姿で、いったいどういう風の吹き回しなのかの?」
「じいさん、俺を誰かと勘違いしてなぁい?」
 羽織の男はへらっと笑って通り過ぎようとする。
「悪いがおまえさんよりは長生きしとるし、もうろくもしておらんわい。その分、知りたくもないことをいっぱい知っておるぞ?」
 老人は声を落とした。
「人魔戦争の始まり終わりも……平民出の騎士が前線に立たされ、下町からもたくさんの戦死者が出たことも……生き残った平民出の英傑の話も……のう」
 男は足を止めた。
「やっぱ、勘違いしてるわ、じいさん」
 老人は男の顔を再度確かめようとしたが逆光にさえぎられ、よく見えなかった。男は着物のすそをなびかせて、老人の横を通り過ぎていく。
「じいさんの言うそいつは俺も知ってるわ。でも……奴は10年前に死んじまってるわよ」
 老人は声を追うように振り返った。そこには路地を駆けていく男の背中が見えるだけ。
 すれ違った若者が、普段見慣れないギルド風の出で立ちにぎょっとした目を向けている。その若者は羽織の男と老人が会話を交わしていたことがよほど不思議だったのだろう、怪訝な表情もあらわに尋ねてきた。
「ハンクスじいさん、あの胡散臭い奴知ってるのかい?」
「……知ってるお人かと思ったが、どうやら違ったみたいじゃの……
 浅黒い肌、黒い髪……彼を最後に見たのはいつだったか……。まだ若く、下町の警護に当たっていた頃だろうか。
「……10年前に死んでしまったとは……わしにはそうは思えなんだが……」
 
 



 
 

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■参考スキット■「シュヴァーンとして」

※読まなくてもいい話※
エステル救出直前、お城の中の食堂で、ルブランやデコボココンビから異常な慕われ方をしてたレイヴンに対し、ハンクスじいさんが何にもツッコミ入れてなかったので、こんな話を思いつきました。
      
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2010. 3.18



4/29追記。たぶんアップは後日。
参考スキットは「シュヴァーンとして」です。書き忘れてたので、上の方に追加しときました。
本当のシュヴァーンは10年前に死んだとフレンに語るおっさんが哀しい。シュヴァーンは何も考えていない空っぽの奴だと語るおっさんも哀しい。そんでもって、公式レイヴン小説を読んで仰天。彼の語るシュヴァーン=Dさん?(ネタバレ?かもなのでフセ字)そのくらいシュヴァーンの存在はレイヴンにとって大きかったのかしら……。そうと信じたいです。













 

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