リタと心臓魔導器 2回目 1
※アレクセイのこと 男性編の直後のお話です。


「ねぇ、リタっち、おっさん居心地悪いんだけど」
 室内にはレイヴンとリタの2人だけ。
「あたしは別に席外してなんて言ってないわよ?」
 宿に泊まる時は大抵、男性陣と女性陣で別々に部屋をとるのだが、男性部屋にやってきたリタが心臓魔導器を見たいと言ったとたんに、ユーリもカロルも、そして男性部屋に来てレイヴンと話をしていたエステルまでもが、まるで示し合わせたように女性部屋へと行ってしまった。
「あんたに気を遣ったんでしょ?」
「え? 俺? 俺様のせい???」
 大げさな口調で非難反論するレイヴンに、リタはうざっともらした。レイヴンはいつもこうやってふざけてばかりいるが、初めて心臓魔導器をこの手で「見た」時、彼が垣間見せた表情は全く違うものだった。
 魔導器学の専門家であるリタですら、レイヴンの体のためとはいえ、覗いてはいけない扉を開けてしまった気分だった。ただ眺めていただけの仲間たちからすれば、その気持ちというのはさらに複雑なものだろう。
「ほら、さっさと脱ぎなさいよ」
 あれからずっと、アレクセイが施したものよりも、より安定性が高く体への負担を軽くするための術式をリタは考えてきた。だが、レイヴンの心臓魔導器は複雑で、前回「見た」くらいでは、この魔導器の持つ可能性までは測ることができなかった。
「リタっちったら、大胆ー」
 首の後で手を組んだまま、レイヴンはへらへらと笑っている。リタはむかっとした。
 こっちは仲間のために真剣になっているというのに、この態度はなんなのか。
「…ファイアーボールとストーンブラスト、どっちがいい?」
 リタの目が座ったことに畏れをなしたか、レイヴンはあわてて羽織を脱ぎ始めた。
「もー、リタっちと2人きりになったら、誰が俺様を助けてくれるの?」
 これみよがしに震えてみせる。
 リタは最近ハルルでもらったばかりのアイヴィーブレードをお見舞いしてやろうかと思ったが、女性部屋に置いてきたことを思い出した。
「……失敗したわね」
「………ねぇ、何で今、舌打ちしたの? リタっち、なんか恐ろしいこと考えてたでしょ?」
 レイヴンの顔がひきつる。船の上から突き落とされたり、攻撃魔法をお見舞いされたり、レイヴンはこの旅の間、何度となくリタに恐ろしい目に合わされているため、どうしても及び腰になる。
「怖いっっ、怖いわリタっち!!!」
「おっさんうざっっっ」
「ひどーい! リタっちがいつもおっさんをいじめるからでしょ?」
 リタは思った。そもそも、全部レイヴンのせいではないか?なんで攻撃魔法をくらうと分かっていながら、いつもいつも茶々を入れるのだろう。嫌ならやめればいいのに。
「無駄口叩いてないで、早くしなさいよ」
 リタの目が三角になったので、レイヴンはやれやれとため息を一つ吐いて、ピンクのシャツのボタンを外しはじめた。
「ちょ……おっさん!!!!」
 リタはやや身をそらした。
「ん? なによ、リタっち?」
「何で全部脱ぐのよーーーーー!!!!!」
「え? ちゃんとズボンはいてるじゃない」
 レイヴンはきょとんとして、顔を真っ赤にして怒鳴りつけた少女を見つめた。
「上よ、上!」
 レイヴンは上半身裸だった。脱いだピンクのシャツを片手に持ち、今まさに、綺麗にたたまれた羽織の上に置こうとしていた。
「だって前回、リタっちったら見えないとか何とかでおっさんにセクハラしたじゃない。だったら最初から見えてた方がいいでしょ?」
「あ…あの時は夢中で……」
 リタの声がうわずる。
 心臓魔導器を縁取る美しい銀の枠……シャツに隠れて見えなかったそれの大きさを確認するため、リタはおもわず銀の枠に手を添えたまま、レイヴンの体をまさぐってしまった。
(あ…あたしってば……)
 レイヴンにセクハラだと言われても当然ではないか?
 そして結果として、レイヴンは今、上半身裸のままベッドに腰掛けているのだ。
 改めて見ると、何となく気恥ずかしい気がしてきた。
 ふだんはシャツと羽織に隠れて見えないが、基本的にレイヴンは引き締まった体つきだ。それでいてしっかりとした筋肉がついているため、服を脱ぐとまるで別人のようにリタの目に映った。
 本人の弁としては、ギルドも騎士団も肉体労働だからだということだが、自身が鍛練を積んでいなければここまでの体を造るのは困難なのではないか。
 リタふと視線をそらした。他人の裸などじろじろ見ものではない……それもあったが、彼のさらした肌に無数の傷痕を見たからだ。
 古い傷。
 鋭い刃物で斬られたような痕(あと)や、火傷のような痕、みみず腫れのように筋となって残っている幾多の傷痕。
(前見た時は……気付かなかった……)
 ギルドの人間だから……魔物と戦うこともあるから……そんなことで残る類の傷ではない。それはリタにも容易に想像できる。
(人魔戦争の時に負った傷なんだわ…)
 死線をくぐり抜け……いや結局くぐり損ねて復活したからそ、彼の体にはその時の傷痕が今も生々しく残っているのだ。
 リタがなぜ視線をそらしたのか、彼女の表情から読み取ったのか、レイヴンは困ったような笑みを唇の端に張り付け、脱いだはずのシャツに腕を通した。
「おっさんの肉体美は、ウブなリタっちには刺激が強すぎたかしらね〜」
 軽口を叩くが、リタはいつものように激しく言い返すことも、何かを投げつけることもなかった。
 椅子を引き寄せ、レイヴンと向き合う形で腰を下ろす。
(何やってんのよ)とリタは己を叱咤した。
(あたしはどんなことにも目を背けたりしない!)
 エステルが世界の毒だと言われた時も、その絶望的な予測が当たっていた時も、新しい方法を自分は見つけてきたではないか。
(あたしは絶対に、アレクセイよりも優れた術式をこの魔導器にほどこしてやる)
 たとえレイヴンがそれを強く望んでいなくても……。
 リタはレイヴンを見据えた。
「あたしが心臓魔導器に興味があるのは事実よ。おっさんがホントは見せたくないって思ってるのも知ってる。でも」
 少女のまっすぐな瞳は揺るぐことなくレイヴンを射抜いた。まるで男のふざけた言動の下に隠された「本質」を見抜こうとするかのように…。
「あんたの体はね、もうあんただけのものじゃない。あんたが傷つけば仲間(みんな)が哀しむのよ」
 エステルの監視者として同行した「レイヴン」はずっと胡散臭いおっさんだった。それでも、長い旅の間に、監視者だったはずの男はいつのまにか仲間の一人となっていた。
 エステルとレイヴンがミョルゾから共にいなくなった時も、レイヴンがエステルをさらったのではないか……その可能性に言及したのはリタだけだった。カロルははっきりと否定し、ジュディスはエステル同様レイヴンもつかまったのかもしれないと別の可能性を示唆した。レイヴンに対し疑いを抱いていた様子のユーリですら、エステルだけでなくレイヴンも助けると口にした。
(本当はあたしだって、信じたくなかった……)

 レイヴンが裏切った……心の端ではその可能性があるとは思っても、そうであるはずがないという思いはみんな共通していたのではないか。
 あの時。
 バクティオン神殿の最深部で彼が敵として現れた時、「仲間としての信頼」は一度失われかけた。
 だが、彼が自分の立場も過去もかなぐり捨てて、身を呈して仲間のために脱出口を守りぬいたその行為で、全てが真実となった。
『やっぱり仲間だったんじゃない……』
 嗚咽とともに絞り出された言葉。後から後から流れ落ちる涙。
 何で自分はあんなおっさんのために、これだけの涙を流さねばならないのか……。
 あの瞬間、リタにとってレイヴンは本当の仲間だと、心から信頼の置ける大切な仲間なのだとはっきり意識することができたのだ。そして、その大切な仲間は、己を犠牲にしてほかの仲間を守りぬいた。
 馬鹿だ……バカ、バカ、バカ………。口ではそう言葉をつむぐのに、胸の中では行き場のない哀しみが澱(おり)のように溜まっていく。あまりに絶望的な状況。 
 だが彼は戻ってきた。いつ止められるか分からない心臓魔導器を抱えたまま。
 「レイヴン」として。
「もうアレクセイは居ない。あんたの体を見てあげられるのは、この世界であたしだけよ」
 断定ともとれる強い言葉。
 強い信念が形になった嘘いつわりのない魂の声。
 ふっとレイヴンは視線を落とした。
「やはり天才魔導少女にはかなわんか……」
 低い声と落ち着いた口調は「レイヴン」とはどこか異なっている。だが「彼」が見えたのはほんのわずかな時間だけ。
「あーもー、暴力だけは振るわないでね? おっさん、大人しくしとくから」
 いつものようにおどけて見せる。だが、リタはあえて無視した。
「ねー、リタっちー、聞いてる?」
 顔をのぞきこまれ、リタは反射的に殴ろうとして――やめた。
「ちょっと調べたいだけだから…そんなに時間はかからないと思うわ」
 淡々と答えて、深紅に輝く心臓魔導器に白い手をのばす。
(ホントに素直じゃないんだから)
 おっさんも、あたしも。

 間をおかず、レイヴンの胸の前に光の盤が浮かび上がった。 



「やり辛いわね……」
 心臓魔導器の制御盤を立ち上げてから半刻あまり。光の円の上に刻まれた文字を追いながら、リタはつぶやいた。
「なあにー、リタっち。おっさんの肉体美が目にまぶしすぎる??? ……うぐぉっっっ」
 リタはレイヴンのみぞおちあたりを狙って拳をお見舞いした。
「ちょ……暴力はやめてってゆったじゃない!!!  おっさん、こーんなに大人しくしてたのに何がやり辛いってのよ???」
 心外だと言わんばかりのレイヴンに、リタは制御盤を動かす手を止めた。
「だってあんた、あたしが何をして、どういう作業を今してるか……大体分かってるんでしょ?」
 わずかの間(ま)。
 レイヴンはいつもの通りへらっと笑いながら軽く頭をかいてみせた。。
「天才魔道少女じゃあるまいしー、おっさん魔導器のことは分かんないもん」
 だが、彼が一瞬だけ真顔になったのをリタは見逃さなかった。
「魔導器を動かすアレクセイ手を、あんたは10年間見てきたんでしょ。その間、ただぼんやり眺めてたの?」
 レイヴンは無言だった。
「……何より……
 リタは息を大きく吸い込んだ。
「あんた、魔導器使えるでしょ?」
 吐き出すように言って、20も年上の男の顔をじっと見つめた。今度は、彼はヘマはしなかった。
「そりゃ俺様だけじゃないでしょーよ。ユーリ青年も、カロル少年も、ジュディスちゃんだってみーんな武醒魔導器使ってるじゃない?」
 いつも通り「レイヴン」の顔で、さも当然といわんばかりに片目をつむってみせる。
「もちろんリタっちもね?」

「ふざけないで!」
 レイヴンの言葉をリタは一蹴した。
「あんたは魔導器の使い方を知ってる……それも一般人が知らないような高度な魔導器の」
 この男のどんな動きも見逃すまい……リタの強い眼差しにレイヴンは先ほどよりも力なく頭をかいた。
「いったい、俺がいつそんなもの使うヒマあったよー」
「嘘は言わないで」
 リタの眼差しに哀しみともとれる陰りを見て、レイヴンは表情を改めた。
「じゃ、あんた、エステルつれて、どうやってミョルゾから降りてったのよ。転送魔導器を動かしたのはあんたでしょ」
「………」
「このあたしが、アレを調べないわけない……そのくらい分かるでしょ? そもそもミョルゾの魔導器は、みんな魔核が外されて筺体(コンテナ)だけになってた……誰かが外部から魔核を持ち込まなければ動くことさえ無かった……」
 起動させた人間が居るのだ。意図的に。あの魔導器がどういうものか理解した上で。
 レイヴンの顔に苦いものが浮かぶ。唇の端には笑みが浮かんでいるのに、リタにはそれが歪んで見えた。
 ぽつぽつと言葉が落ちていく。。
「どのみち嬢ちゃんを連れ去らなきゃならない……そんな時に都合よく嬢ちゃんが一人になってくれた……。そして都合よく転送魔導器があった……。だから、たまたまなのよ。たまたま、持ってた魔核がハマったから…」
 リタはその先を言わせなかった。
「そうね。あたしも最初は、外部から魔核を持ち込んでたまたまそれがハマって、エステルの能力を使って無理矢理作動させたんだと思ってた」
 なぜなら魔導器というものは簡単に操作できるものではないからだ。
「でも考えれば考えるほど違うって思ったわ。たまたま持ってた魔核がうまくハマって、エステルの力で起動させて……そんな偶然で動くほどあの魔導器は簡単じゃあない。だからユーリも、下町の水道魔導器の魔核を求めて、あんな長い旅をするハメになった…適当な魔核で動くような代物なら、とっくにあたしがいいのを見繕ってあげてたわ」
 レイヴンの胸の前に浮かんでいた制御盤がふっと消えた。
「仮に持っていた魔核がたまたまハマって、うまくいくかどうか分からないエステルの力を利用して、適当な場所に降りることができたとして……そこまで無計画なことやって、すぐにアレクセイの元にエステルが落ちてしまう……そんな偶然ってある?」
 レイヴンは答えなかった。リタは腰を上げ、男の前に仁王立ちする。
「考えれば考えるほど無理がありすぎる…あたしの仮定は間違ってたのよ、最初から。一般人が都合よく転送魔導器に適した魔核を持ち歩くはずがない、それに高度な魔導器は一般人は扱えない……もしレイヴンがエステルをさらったとしてもおっさんは魔導器にはそれほど詳しくない……だから違う……」
 リタはきつく拳を握りしめた。。
「全部間違ってた。レイヴンは魔導器に詳しく無かったかもしれない。でも、シュヴァーンは違ってたのよ」
 「レイヴン」として生きることを決めたはずの男は、もうレイヴンの顔をしていなかった。碧色の瞳は憂いを含み、リタの言葉に静かに耳を傾けている。
「あんた、最初からミョルゾに転送魔導器があることを知って、それを動かせる魔核を持っていたわね?」
 詰め寄られても、男は微動だにしなかった。
「……姫様から聞いたのか?」
 あの時のことを? 

 「レイヴン」であることを忘れたかのような男の口調とその内容に、リタは激しく憤った。
「見損なわないで! ヘラクレスでケジメをつけたあんたのことを、何でエステルに聞くのよ!!! あたしだけじゃない、ユーリもカロルもジュディスだって……エステルも一言も言ってはないわ」
 「レイヴン」の瞳が大きく見開かれた。
 リタはその時初めて、「レイヴン」がアレクセイの命に従って取った行動が、彼自身にとってどれだけ重いしこりになっているのか気付いた。とっくに氷解していると思い込んでいたが、それは彼の言動に惑わされていたにすぎなかったのだ。
 「悪かったわね…」
 「悪かった……」
 言葉が重なる。居心地が悪くなり、リタはどすんとイスに座り込んだ。





つづきます。
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2010.04.06.




参考スキット…「レイヴンと心臓魔導器」

+読まなくてもいい話+
完全捏造です。ご注意ください。
ヴェスペリアの物語の中で、ミョルゾから降りるシーンは結局詳しくは語られませんでした。ただ、レイヴンとエステルが転送魔導器で地上へと降りたのは確かだということ、それと、ヘラクレスで復帰した際の彼の行動の早さから、こんな話にしてみました。
ちなみに転送魔導器ですが、御剣のきざはしのてっぺんでアレクセイが消えうせたのも、転送魔導器を使ったからかな?と思っています。それと、キュモール隊の騎士の一人が、魔導器の制御盤を立ち上げて操作する(しようとする?)シーンがあったので、騎士はけっこう魔導器使えるんじゃ?と思ったのも、この話を思いついた理由の一つです。
個人的に、シュヴァーンは文武両道な人だったんではないかと。あれだけ部下に慕われるということは、カリスマだけではなく、仕事もバリバリに出来たんじゃ???とか思ってます。

追記。レイヴンの心臓魔導器メンテはリタしかできないのか……どうかは不明ですが、ユーリも「リタに見てもらえ」と口にしていたので、きっとリタなら何とかできると思います。