アレクセイと心臓魔導器 

 
 シュヴァーン隊の詰所には、隊長室が設けてあった。
 隊長クラスともなれば、本来は城内に執務室を与えられる。それはシュヴァーンも同じであったが、それとはまた別に、詰所内に小さな個室が設(しつら)えてあった。

 調度品らしきものは少なく、机と椅子が数脚、あとは下級騎士が使うものと同等の粗末なベッドがあるだけ。くくりつけの棚には、地図や書物等がきちんと整理されて納められてはいたが、簡素なつくりは否めない。
 室内に居るのは二人の男。
 一人は、無精ヒゲを生やし、派手な上着を身につけた、いかにも異国風な出で立ちの男。

 もう一人は、緋色と白銀が美しい重厚な鎧に身を包んだ壮年の男。人魔戦争時から騎士団長を務め、現在に至るまで数々の栄誉と称賛を受けてきた騎士の中の騎士、帝国騎士団長アレクセイ。
 口火を切ったのは彼の方だった。
「シュヴァーン、なぜあのような酔狂な真似をした?」
 責めるような口調ではないが、その声音はあくまでも冷たい。
 脱いだ上着を椅子にかけながら、シュヴァーンは抑揚の無い声で応えた。
「命(めい)に背いたわけではありません。後ほど参上する所存でした」
「私が言うのは、牢に居た件ではない。あの囚人に何を渡していた?」
「牢の鍵を」
 そう応えながら、ざんばら髪をほどき、丁寧にくしけずる。
 他の騎士であれば、騎士団長の前でこのような振る舞いをすることはない。あってはならない。
 だが、シュヴァーンはごく当たり前のように髪を整え、派手な色のシャツも脱ぎ、肌をさらした。
「……彼は何者だ?」
 アレクセイがすっと歩み寄り、シュヴァーンと向かい合うようにして立った。身長差のため、シュヴァーンからすれば若干見上げる形となる。だが彼はアレクセイと目を合わすことなどしなかった。
「ローウェルはフレン小隊長と同期でした。退団しなければ、ゆくゆくは我が隊に配属となっていたはずです」
 顔の半分を髪で隠し、声にも眼差しにも感情の色はない。
 均整のとれた引き締まった体には無数の傷が走り、先ほどまで軽口を叩いていた風来坊のような姿は、もうそこには無かった。
「ほう…元騎士か……」
 つぶやいてから、アレクセイはシュヴァーンの胸に手を伸ばす。やや浅黒い肌の上には、まるで鼓動のように一定のリズムで輝く深紅の魔導器が埋め込まれていた。それを縁取るようにして、銀色の枠が、彼の胸の上に美しく流れるような幾何学模様を描いている。
 アレクセイがその深紅の魔導器に手をかざすと、フッと空中に「盤」が現れた。
 数十にも及ぶ小さな文字盤の上を、男の両手が滑るように動いてゆく。 文字盤の上に浮かび上がる円形の光の中で、アレクセイの指の動きに合わせて、たくさんの文字が生まれては消えていった。
 シュヴァーンはその日初めて、アレクセイを見上げた。魔導器と同じ深紅の瞳に、文字盤の光が映り込んで見える。
 これは、おまえを生かすための「作業」なのだと語っているような、冷ややかな光。 
 彼の目が、世の不正に怒り、遠くない未来への希望を語り、真摯な光に満ちていたのは、一体いつの頃だったろうか。
「…ふむ。」
 文字盤を構成していた光がふっと消えた。
「これまで通り、余程のことがないかぎり、剣を扱うことは控えた方がよさそうだ。でなければ、おまえの心臓はもってはくれんぞ」
 何度も言われた言葉だ。なのにもかかわらず、シュヴァーンは己の左手を胸に当てた。
 心臓魔導器は冷たく、そして堅かった。宝石のような美しさを持ちながら、その実、鋼のような手触りが異物感を指先に与える。
 肌の上に現れているのは一部分のみ。体の奥深くまで埋め込まれている「それ」を作り上げたのは、ほかでもない、目の前のアレクセイなのだ。
「私がこうして調整をしているから、おまえは生き永らえている。私の道具としてな」
 反逆など許さない……そのような強さとともに、声に交じるのは、かすかな愉悦。
 騎士の鏡と謳われた彼が、他の騎士や貴族の前では決して見せない、薄い笑み。
「……分かっております」
 10年もの間、シュヴァーンはアレクセイの手によって、こうして生かされてきた。
 身分を偽り帝都を離れ、再び戻ってきた時には必ず、こうして彼の元で命をつないできた。
 今さら新たな感慨も何もなかった。
 むしろ何度となく同じ言葉を浴びせられていくうち、いつしか、考えることすら億劫になっていった。
 10年前に死んだはずの自分を生き返らせたアレクセイの望むままに動いてもいい……彼にとって「シュヴァーン」はそのための道具にすぎない……そもそも存在価値など無いに等しいのだ。
 ただ一つだけ、シュヴァーンは思った。
 彼の言った言葉に、ひとつだけ間違いがある。
 自分は生きてなどいない。生ける屍(しかばね)なのだ……。


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※この話は、「リタと心臓魔導器」というお話と一応、対になっています。
 あえて似たような表現を用いている箇所もありますので、興味のある方は、ぜひ読んでくださいませ♪



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2009.06.27.